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ゼロリスク志向がリスクに

今日も毎日新聞朝刊(大阪本社版)から。昨日の坂村健氏のコラムと同じ方向性の記事。
11面「論点 新型肺炎とどう向き合う」の武田徹氏「新型コロナウイルスの感染をめぐる社会の動きに、「ゼロリスクを目指すことは、むしろリスクを増大させる」と感じている」。

入試の世界史もそれをやっていませんかね。

「ゼロリスクを求める「潔癖」な心性は、悪質なナショナリズムと相性がよい」
「世間も、ゼロリスクにとらわれすぎていないか。多くの人が「入手困難になるかも」と日常に必要な以上のマスクや消毒用アルコールを買い占める。「なんと利己的な人々か」と、ため息が出る。

このへんも、「公平性」(とみんなが思い込んでいるもの)にこだわりぬく教員、受験生や親たち、みんなでよってたかってやっていることが日本社会に生み出している結果と、よく似ていませんかね。

「程度の問題」を考える能力

昨日の毎日朝刊の記事。13面(科学欄)の「坂村健の目」はコロナウイルスについての「正しく恐れるということ」。研究が進んでいないコロナウイルスについて「何が正しい」かはまだはっきりしないが、そういう時に常に頭に置くべきは「「程度の問題」という言葉だ」とする。
 つまり「「正しさ」は「0か1か」ではなく「程度の問題」。「少しでも効果があるなら、した方がいい」が感染症専門家にとっての「正しさ」でも「本当に必要な人のために、少しの効果ならやめたほうがいい」という公衆衛生の専門家は「正しさ」を天秤にかけている。基本は、医療資源を浪費せず、高齢者はガードすること。
「どう判断しても、将来的には間違いとなるかもしれない。しかし、唯一言えることは、このような複雑な問題に対し極端だからこそ単純で魅力的な--「0か1か」の解答を求めることは間違っているということなのだ」。

 理数系の学問は全部公式や法則に従って唯一の正解が出ると信じ込んでいる学生にあきれかえったと以前書いたことがあるが、ここで問題になるのは「確率」「費用対効果」などの概念だろう。それらにまったく無理解なままで「教養」だの「批判精神」だの言い立てる人文学者や、あれこれの理由を並べて「唯一の正解だけを求める」つまり「0か1か」の世界に生徒を駆り立てて平気な地歴科教員に、「上の(坂村氏の)文章を100回書き写せ」という課題をやらせたい。

高校野球と高校歴史教育の共通性

一昨日の毎日新聞(大阪本社版25面)朝刊に、連載「球児のために」第1回で筒香嘉智選手のインタビュー「「選手ファースト」訴え」。いわく「指導者の考え方がアップデートしていない。例えば、50歳の方が30年くらい前の指導法、つまり自分が教わったまま教えている。30年前と今だと全く環境が違う...」「指導者がやりやすい環境を作るのではなく、子どもたちの将来を一番に考えてほしい」などなど。いずこも同じ秋の夕暮れ、じゃなくて冬の朝方か...

昨日の第2回はなつかしロッテのリリーフエースだった荻野忠寛氏。今年のセンバツから導入される球数制限(1週間で500球)を「指導者に与えられたラストチャンス」とする。

歴史総合も「歴史教員に与えられたラストチャンス」だと思うのだが、現場の認識やいかに?

古代史は日本にしかない?

日本前近代史業界では、桃木という変な東洋史学者(世界史教育の専門家?)がよく日本史にいちゃもんをつけている、という話はちょっとは知られているようで、最近も日本史の雑誌である原稿の依頼を受けた。そこへおあつらえ向きに「どうぞ批判して下さい」と言わんばかりの雑誌が届いた。同じ問題はかつて何度も論じているのだが、相変わらずかとがっかりせざるをえない(以下への反論は大歓迎。ただし私が「対外関係史」以外の中世史やジェンダー史も含めて、世界史系の学生・研究者に日本史の理論や方法を勉強しろ勉強しろと言い続けている点も理解したうえでの反論が期待される)。

『歴史評論』最新号は「特集/馬が支えた古代の国家・社会」。「ユーラシア草原地帯の騎馬遊牧と初期遊牧民文化」(畠山禎)以外の4論文は日本史で、巻頭の「特集にあたって」も「古代史」というのは日本の古代史を指すことを当然とする書き方をしている。論文タイトルも「古代の馬の生産と地域社会」「古代の交通制度と馬」など、「歴史といったら断らない限り日本の歴史だ」という立場を明示したものがある。ちなみに英文目次では前者はHorse Production and Local Societies in Ancient Japanと日本であることを明示しているが、後者(比較のために唐代の制度も論じるがそこには古代や中世という文言がないので、タイトルの「古代」は日本のことである)はHorse in Ancient Traffic System: Focusing on Consideration of Relating Provisions in Codes and Regulationsという機械翻訳の失敗作(?)になっており、副題がひどいだけでなく全体がどこの話かわからない(T先生からはSNSで、これじゃ「古代交通制度の中の馬肉」だというご指摘もいただいた)。たぶん厚生労働省などと同じで、翻訳とはどういうことで誰のどういうチェックが必要かを十分わかっている編集部員がいないのだろう。

私は高校「歴史総合」などに関連する講演や原稿で「日本史と世界史(外国史)では単語も文法も違っており、統合はかなり困難だ」という話をよく取り上げるが、上の特集や論文のタイトルを何とも思わない日本史研究者に、歴史学や歴史教育全体のことを考える意欲を認めるのは難しい。言いたくはないが、こういう研究者(日本の歴史学界では日本史はマジョリティである)が、悪気はないままで外国史を公然と差別し二級市民扱いしていることは、悪気のない男性研究者(学界や大学での多数派)がしばしば無意識のうちにこれまでの常識を踏襲して女性を差別しているのと同じパターンではないのだろうか。

NHKと古い教科書知識とどっちが正しいか?

大阪府の公立高校特別選抜の社会科入試問題。
「日明貿易に( A )という合い札が用いられた」。Aに当てはまる漢字2文字を書きなさい。

勘合は「合い札」じゃないことを全国に放送したNHKは、抗議するか「不適切な入試問題」として報道するかどちらかをすべきだろう。
高校教員は、大学入試のために細かい暗記(無意味なだけでなく往々にして不正確)に力を費やすより、入試を通じて中学教育の古い面を是正する方に力を使ってほしい。
※大学入試が高校教員にそういう細かい暗記教育を要求しているではないかという反論は、私がそれについてどういう発言・行動しているか調べてからにしてください。

タンロン遺跡の八角形建築遺構の比定

今日届いたベトナムの雑誌『考古学』2019年6号。ハー・ヴァン・タン先生の追悼記事(トン・チュン・チンさん)、タンロン遺跡C区で見つかった李朝の八角形建物のファム・レー・フイさんたちによる考証(文献に見える建物名への比定がついに実現した!)、雲南との国境に近いハーザン省の寺院遺跡に見られるチャム的要素など、必読の論文が何本も載っている。卒論修論D論の合間に急いで読まねば。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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