ベーバイビサーズの再会


今日は人間科学研究科(吹田キャンパス)でシュヴェントカー先生がオーガナイズしたGlobal COEの講演会に行き、ドイツの旧友Martin Grossheimの講演Conflicts of Memory: Representations of the Past in Vietnamを聞く。夫人のNgo Thi Bich Thu先生も一緒(フンボルト大学の教授であるマルティンは、現在東京外大の客員教員として滞在中。日本に何度も来ているビクトゥー先生は、今や日本語がぺらぺらである)。今回の来日後、夫妻に会うのは初めてである(前回はハノイで会った)。

旧西独のPassau大学の学生だったマルティンは、私より1年遅れて87年秋にハノイに留学し(当時のハノイ大学ベトナム語科)、私が帰国する88年夏まで親しくつき合った。気さくでしかもなかなかカッコイイ青年だったので、日本人女子留学生の間にもファンがいた。ベトナム語科で美人女教師として名高かった、年上のビクトゥー先生とのちに結婚した際には、私も「やるな」と思ったものだ。

散々あちこちでしゃべったり書いたりしてきたが、あの時代のハノイはなかなか大変な状況で、私なども当時は、「あいつの研究は大したことがないが、あのハノイから生きて帰ってきたのは偉い」と評価されていたような気がする。

大半の留学生はベトナム語科の教室と寮がいっしょになった建物(バックホア地区B7bis棟〈ベトナム語でベーバイビスと発音する〉という建物)に閉じ込められていた。逆に留学生間では、数少ない資本主義国の学生も旧社会主義国の学生も濃密なつき合いがあった。とくにマルティンはまめに連絡をくれるので、B7bisssers(ベーバイビサーズ)などと称して、今でもなにかと交流している。

かれ以外にも、B7bisssersには西側ではオランダ、デンマークなどで「偉くなった」研究者がいる。ロシア人ともいまだにつき合いがあるが、北朝鮮やモンゴルの留学生はその後どうしただろうか? 当時は今とちがい、韓国・中国の学生と会うことはなかった。ラオスとカンボジアの留学生は別の専用の寮から通ってきていた。

話は違うが、しばらく前に、タンロン皇城遺跡(ハノイ)の調査保存の仕事に日本側で協力しているベトナム語のできない専門家向けに、ベトナム語の研究論文をいくつか、日本人の院生・若手研究者に頼んでアルバイトで訳してもらった。それのチェックをようやく開始したのだが、翻訳に問題が多い。

外大系は予想通り、論文の硬い文章や漢字/漢語に弱い。歴史や考古学の専門家は、基礎的なベトナム語がわかっていないところがある。日越交流はこの20年で飛躍的に発展し、会話の面では私など足下にも及ばない上手な日本人がたくさん出てきたのだが、論文など文語文の読み書きという点では、少数の例外を除き水準が上がっていない。私がこんなことで威張るようでは困るのだが...
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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