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シナ海域蜃気楼王国の興亡(2)

通史的な方法では書きにくい歴史を書こうとして、列伝風の構成を取った本書の背景には、「英雄史観」におちいらずに「英雄から歴史を見る」方法の模索がある。p.38以下で説明される方法は、「英雄」がいろいろな属性・立場や呼び名をもっていた点に注目し、その人格の多面性と呼称との関係を明らかにすることで、その人物をより立体的に理解しようとする点に主眼がある。19世紀以来、歴史学が「国家」「民族」「社会」など集団を描くことに専心してきたのに対し、近年では名もなき個人への着目などいろいろな、個人を切り口をする方法が試みられているが、上田氏が対象にしたような「英雄」を無視しては、「一般社会における歴史の復権」が難しいことも間違いあるまい。過度の英雄忌避は、「市民=国家主権の担い手の政治的素養の涵養」という歴史教育の目的の一部に「リーダーを選ぶ」ということが含まれるとすれば、それを邪魔する危険ありとして、戒められねばなるまい。

そういう方法論の話のつぎに、本論第1章「足利義満と法悦の王国」は、「朝貢をめぐる誤解」という節から筆をおこす。日本人の多くは「朝貢というと中国の言いなりになって、その属国になることだ」と誤解しているので、そうではないという説明をしてから、足利義満と日明貿易の話に入るわけだ。

「朝貢・冊封とはどういうことか」については、このブログでも何度も書かせてもらった。それは、近代的な意味の属国になることとは全然違う。学界では、そのことはとうに常識になっている。教科書も現在では、それを前提にして書いてある。それが一般社会の常識にならないとすれば、専門家側の解説の不足か、教育現場や一般社会の鈍感さか、たぶん両方を問題にしなければならない。朝貢・冊封の理解は現代東アジアを考えるうえで重要だから、この問題はゆるがせにできない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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