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新しい「新しいベトナム人」

今日は午前中に、日本人有志で続けている「ハノイ歴史研究会」で西村氏を偲ぶ会。夕方は社会科学アカデミーで、西村氏への友好勲章授与式。さながら、西村デーだった。勲章授与式にはマスコミの取材もいろいろ来ていたので、また放映などされるのだろう。

かつて数百人の日本兵が、日本の敗戦時に復員せずに、ベトミンに加わって抗仏戦争をたたかい、かなりの人数は、ベトナム人と結婚して、独立後もベトナムにとどまった。ベトナム民主共和国政府は、かれらをたたえて「新しいベトナム人」と呼んだことが、ものの本に出てくる。西村氏はさしずめ、新しい「新しいベトナム人」になったと言えるのではないかと、ふと思いついた。

ハノイ歴史研究会 http://hanoirekishi.web.fc2.com/ は、アマチュアの会員の方が西村氏のドンソン銅鼓の研究と陶磁器博物館の設立について、それぞれしっかりした報告をされたあと、小松みゆきさん、岩井さん、大西さんがそれぞれ、西村氏の思い出を話された。大西さんのしめくくりのことばは大意「かれは、あえて長く生きないことによって、われわれに永遠の記憶を残し、われわれに道を示し続ける」といったものだったが、これはみんなの気持ちだろう。ご遺族は悲しいに決まっているが、しかし西村氏はカッコイイ生き方をみごとに貫いた。

勲章授与式は、私も何回か入ったことがある本部講堂で、考古学院院長のトン・チュン・ティンさんによる経歴・業績紹介、つぎに勲章授与の政府決定の読み上げと範子夫人への勲章の手渡し、社会科学アカデミーの副主席のあいさつ、日本大使館の小野さんのあいさつ、範子さんのあいさつ(すべてベトナム語)といった順番でおこなわれた。西村氏が眠るキムラン村の代表も駆けつけた。あいさつはいずれも心のこもったものだった。脱線だが、外国研究者はその国の行政文書の表現や、各種式典の挨拶用語なども学ぶ必要がある。勲章の決定やそれぞれのあいさつのベトナム語は、いずれも聞き取りやすく、院生の聞き取り教材に使えそうな気もした。

ティンさん(ドイモイ開始前後から本格的研究を始めた点で、西村氏を戦友のように思っているのではないか)は何度も故人の経歴・業績紹介をしただろうが、(1)ベトナム初の銅鼓の鋳型の発見、(2)陶磁器博物館の設立、(3)ベトナム人の若手の育成、(4)世界に向けた研究成果成果の紹介、の4つにまとめられた今日の紹介も、簡にして要を得たものだった。今の大学用語でいうと、研究・教育・社会貢献・国際発信などの3拍子も4拍子もそろった成果ということになる。

銅鼓については、ハノイ歴史研究会でも詳しく紹介されているが、第二次大戦後の発見で、起源は雲南にあることがわかってしまった。おまけにベトナムでは銅鼓そのものは山ほど残っているが、生産遺跡が見つからない。そこで西村氏の見つけた鋳型は、たしかに北部ベトナムで銅鼓生産が(かつて言われたような銅鼓の起源地ではないが)独自の発展をとげたことが証明された意味で、とても貴重なわけである。しかもそれが、中国に支配された「北属期」の、まさに支配拠点だったルンケー城址遺跡で見つかったという点が、中国支配下でドンソン文化がすぐに廃れた(中国の漢化政策がすぐに貫徹した)わけではないことを物語って、とても興味深い。

ついでに西村氏の業績には、考古学で言うルンケー遺跡が、中国文献のルイラウ(複雑な漢字でワープロですぐに出ないので漢字は省略)に比定されていたのを、別の中国の拠点名である竜編に比定する方が正しいのではないかと問題提起をした論文がある(私はこれを読んで興奮した覚えがある)。最近ルンケーで見つかりベトナム最古の碑文として話題になっている601年(隋の文帝の時代)の碑文は、「交州竜編県禅衆寺」に仏舎利を安置した記念の石碑である。ルンケーは竜編だったという西村仮説は、ほぼ証明されたといっていいだろう。この碑文は、現在バクニン省立博物館に所蔵されている(ただし公開はしていない)。日本の骨董屋で発見され、有志が買い戻してベトナムに返還した阮朝時代の「五戸寺」の梵鐘があるのと同じ、バクニン省立博物館である。

西村氏の出た東大という大学は、なんだかんだ言われてもやっぱり「とんでもなく賢いヤツ」がいる大学である。その東大を出た研究者でも、あの年までにこれだけのことをやった人間はそうはいないだろう。ある意味で私は、嫉妬すら感じる。
ただ、それは日本の大学教員の職とは両立しなかった。そこが悔やまれてならない。かれが日本の大学教員になれなかった理由を考えても、私が何度となく指摘した日本の大学の保守性、それに欧米や中国・韓国など「メジャーな」地域以外への関心の薄さなどに行き着かざるをえない。ある意味で、「ベトナムローカルの」業績しかないなら仕方がない。でも、「世界史的な意味を持つ」業績を、かれはあげたんだぞ。それを正当に評価しない「メジャー地域の」専門家は、「ベトナムといえばベトナム戦争や料理と雑貨にしか興味をもたない一般市民」同様に、不見識というものではないのかと言いたくなることもある。

勲章授与式のあと、日本人数人で近くの日本料理屋に行き、ちょっと飲んだ。みんなベトナム生活が長く、「西やん」をよく知る人たちである。葬儀のときのご遺族のようすなど、いろいろな話を聞くことができた。そのメンバーで話し合ったことのひとつは、「北部ではハノイとハロン湾(とバッチャン)など決まり切った場所しか行こうとしない日本人観光客--それでは深いベトナムの理解はむずかしいだろう--を、もっといろいろな場所に行かせるようにしなければいけない。これが実現したら、日本人のベトナム認識もけっこう変わる気がする。そのとっかかりとして、キムラン村やバクニン省は適した場所だろう。キムラン村の博物館に専門家の案内つきで行ったら、学生にせよアマチュアの愛好家にせよ、陶磁器についての系統的でいい勉強ができることは先日も書いた。これを見ている旅行社の方、学校の先生、忘れないでください。





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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