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スコータイ王国の謎

阪大の研究会に見えたことのある高校の先生から問い合わせをいただいた。
予備校の東大模試でモンゴル帝国の問題が出て、クビライが大理を滅ぼしたことにより南下したタイ人が、スコータイ朝(本当はスコータイ王国)を建てたことが解答の一部として要求されているのだそうだ。

そろそろいい加減にしてほしいね。

この問題の解説のさわりは拙著『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』にも書いたが、
同朋舎『タイの事典』を見ればわかる通り、スコータイは1250年より前に建設されており、クビライの雲南侵攻のあとに建国されたのではない。日本の教科書や参考書に1257年建国としたものがよく見られるが、根拠不明である。現在の学界の常識では、スコータイなどタイ人諸王朝は、モンゴル以前から少しずつ南下して地方政権をあちこちに建てており、それがクメール人の衰退と入れ替わりに強大化したというのが、大きな流れである。
もう一点、「タイ人のふるさとは雲南」というのも古い。現在ではむしろ、広東・広西一体がもともとの分布の中心と考えられている。このへんは、新谷忠彦『黄金の四角地帯』に詳しく書いてある。かつて阪大歴教研で同僚の片山教授が、明代後期の広東でタイ系住民が大挙して漢化した話を紹介したことがある。

考え方として、ある国や王朝・文化などの成立を、遠方からの単一集団の民族移動で説明するのは、20世紀前半までにはやったやり方だが、今日の民族学や歴史学・考古学はこれを受け入れない。

ちなみに「雲南のタイ人が大理の滅亡で南下してスコータイ→アユタヤ→バンコクと王朝を建てた」説は、20世紀はじめのタイ人による、バンコク王朝正統化のための政治性を帯びた創作に端を発することは、わが恩師石井米雄先生もたびたび書かれたが、日本の高校教科書に載せたのは、山川詳説の著者として著名なY先生と思われる。ところがY先生に強い影響を与えたフランスのセデスの東南アジア史に書いてある、モンゴルのスコータイ興隆への影響は、クビライ時代後期の話だったはずだ。どうしてより通俗的な「大理滅亡時の南下」説になったのか、その経過をだれか調べてくれないかな。


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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