アジアはどういう面で「遅れている」とされてきたか?

文学部の1回生で専修を選ぶ参考にするための、「文学部共通概説」という授業がある。週に3コマほど設定されており、全体で6割ほどの教員が、自分の専門や所属専修について、1人1回の講義をする。学生はどのコマを受講してもよく、2人の先生についてレポートを出すことが義務づけられている。

私はほぼ毎年出演して、自分のベトナム史研究の概略と、阪大史学系および東洋史専修の独自性の紹介をしている。中身は、最初に歴史オタク(とくに系図オタク)から出発して「世界的権威」になった(???)自分の研究を紹介したあと、いつもの挑発のパターンで、「東大にも京大にも行けなかった屈辱を胸に」「趣味の学問をひっそりとやって」「卒業後は安定した地方公務員にでもなろう」という考え方がいかに間違っているかを力説する。阪大史学系、とくに東洋史はそういう場所ではなく、「巨人・阪神に指名されなかった野球選手」を「意味のある系統的な猛特訓」で鍛え上げ、「メジャーで活躍できる選手」や「複数のポジションができる貴重なユーティリティプレイヤー」「コーチや解説の達人」などに育て上げる場所だ、と説明する。日本史・西洋史へのマンパワーの偏在、世界情勢の変動なども示して、学生諸君が今までの常識通りに「無難な日本史」や「エレガントな西洋史」などに集まり、近隣諸国を含めアジアのことはよくわからないままにしておくことが正しいかどうか、これも挑発的に問いかけて講義を終える。

内心苦々しく思っている日本史や西洋史の先生がいるだろうが、近年の私は、至る所で公然と「日本史と西洋史が多すぎ、東洋史とくに東南アジア史が足りない」と公言しているので、もうだれにも止められないだろう。ただ阪大は「西洋史の先生方の多くが、今までの西洋史のありかたはもはや正当化出来ないことを公言している」大学である。また私は、東洋史や東南アジア史内部の弱点も再三指摘している「自虐史観」の持ち主であり、他分野の批判ばかりしているのではない。そういう私の挑発に、たくさんとはいえないが毎年1人、2人は乗って、もともとの第一志望ではなかった東洋史への進学を決意する。

さて、私のレポート課題は今年も使い回しで、以下のようなもの。170人ほどの新入生のうち、20人ほどが提出した。

「アジアの遅れた国々の歴史などは、進んだ欧米諸国の歴史とちがって、日本や世界にとって積極的意味をもたないから、少数のオタクが趣味で専攻するだけでよいのであって、みんなが勉強する必要はない」という意見に、この講義の内容も参考にしながら反論せよ。上の意見のどの部分に反論するかを明確にしながら、なるべく複数の反論のパターンを書いてほしい。

それぞれもっともらしいことを書いているのだが、気になったのは「アジアの遅れた国々」という部分への反論である。ほとんどの学生が「経済には進んだ遅れたの差があるが、「遅れた」アジアは今や世界の中心の地位を回復しつつある」「文化には進んだ遅れたなどはない、あるいはアジアの方が進んだ文化もある」の2点しか書いておらず、「自由や人権、民主主義などの価値や制度をアジア社会は自分で生み出せなかった(だからアジアは遅れている)」という考えに言及していない。では現実に新入生が受けてきた教育で、ふれてきたマスコミやネット・ポップカルチャーの世界で、そういう考えは過去の物になっているか。断じて否である。この問題を意識できないのは、不勉強のそしりを免れない。

経済の話はいわば社会科学批判である。文化・社会の話は人文学内部の話である。人文学とそれにもとづく近代ヨーロッパ中心の「教養」こそが、ヨーロッパ中心史観を支えてきたこと、それは質に関する議論なので、量的にとらえられる経済の中心がアジアに戻ったのちも維持されうる。そのことを自覚できる歴史教育を、全国に広げねばならない。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR