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「西洋古代史の語り方-現代日本社会のために-」

『古代文化』の特輯だが、なかなか面白い。
南雲泰輔さんという学振特別研究員の若手がコーディネートした古代史研究会のシンポをもとにした特輯で、私でも名前を知っている大戸千之さん以外は、若手で固めたようだ。

南雲泰輔「特輯 『西洋古代史の語り方-現代日本社会のために-』に寄せて」
大戸千之「歴史学に何ができるか-古代史研究者の考えたこと-」
米本雅一「西洋古代史のなかの「実用的な過去」-歴史学の目的と現代性-」
南雲泰輔「古代地中海世界と日本」
岸本廣大「今の日本に求められる西洋古代史とは何か?-高校世界史からの「需要」を中心に-」

という章立てで、純アカデミズムを否定はしないものの、社会との遊離を憂え、しかも研究者個人の努力より学界の組織的ありかたを重視する問題意識から、西洋古代史が押し出しうる内容やとりうる戦略について、多角的に論じている。
「歴史学の主戦場は近世史」「全員に強制的に教える歴史としては、古代・中世史をエッセンスだけにして、近現代史をより詳しく扱うような仕組みを考えるのが、歴史学の社会的責務である」という私の言葉(『わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史』76頁)を、単純に「ケシカラン」と反発するのでないかたちで2か所に引いて下さったのも、真剣な問題意識の現れだろう。

西洋史の動向に疎い私が勉強になる著作や理論の紹介がたくさんあるだけでなく、南雲さんの「日本との共通性(人類の普遍性)ではなく異質性を強調する古典古代史」、大戸さんの「あほらしいと思わずに、専門外の人々の不正確な理解を正していく」(ハーバーマスのギリシア市民理解が例に挙げられている)、などなど共感する意見が随所に見られる。

そのうえであえて言えば、南雲さんが世界各地の「地中海の比較」という視点を出しておられるが--そこで引く提唱者のアブラフィアは、通例に漏れず、「地中海」がたくさん設定でき、そういう本も出版されている東南アジア海域は無視しているようだが--全体に「世界史全体を見て、そのなかで西洋古代史の必要性を主張する」という視点は弱い。厳しく言えば、私がさんざんけなしてきた、「自分自身の分野の必要性を証明すれば、あとは見えざる手の采配に任せてよい」という「右肩上がりを前提にした」発想から抜けきっていないとも言える。

教育を扱う岸本さんが、最後の方で世界史Aや「歴史基礎」で、限られた時間の中で何を教えるかという問題を立てているが、「有限な資源(時間やマンパワー)をどう配分するか」という観点は、特輯全体に貫徹しているかどうかは、疑問なしとしない。
高校教育だけでなく、「専門研究」についてもそれを考慮する必要があるということを、私はこれまでさんざん述べてきた。それぞれの研究分野が、世界史や歴史学の全体を見た上で「全体がこうなるべきで、その中で自分の分野にはこれだけの資源が必要である」というかたちの主張をできるようにならねばいけないのである。しかもそれは、大ベテランや学会ボスの先生に任せておくべきことがらではない。特輯中で、若手が実績のためにタコツボ化せざるをえない問題への言及があるが、「世界で自分だけ」という緻密な実証が博論には不可欠である一方で、博論の序章・終章で世界史や歴史学界全体への位置づけができない若手に、簡単に就職ができるとは思えない。逆にそういう序章・終章が書ける若手なら、学界全体を見据えた活動もできるはずである。

なお、私が「東南アジア屋」かつ「中世史専門家」であることは、この特輯のメンバーの関心を十分には引かなかったかもしれないが、上の例のように「典型例があるのに東南アジアを無視する」研究は、前近代を無視する研究と同様に、「世界史」を語ったり「歴史学」を代表する資格がないと、きびしく批判されることになる点にもご注意あれ(拙著の第二部を読んだ読者は少ないようだ)。

こういうことを前提としながら、私の『わかる歴史・・・』には、「現代史に行く前に終わってしまう世界史B」への批判としての上記の文言以外に、古代史や中世史の大事さを主張する方法、歴史学の全体状況を若手が把握する方法など、この特輯の論点にかかわる意見をたくさん書いてあるのだが、本そのものの書き方が通常の歴史学の本でも歴史教育の本でもない(?)ために、まじめな歴史学の専門家にうまく読み取ってもらえなかったとしたら残念だ。

ちなみにわれわれの『市民のための世界史』教科書は、時代ごとのページ配分という点では、「世界史Aと世界史B」を目ざしている。ギリシア・ローマについて、「人類史の普遍」「ヨーロッパ史だけの起源」という見方を排除するのはもちろんである。執筆の栗原麻子さんも合意してくださったのは、「ユーラシアの辺境で特殊な発展を遂げた歴史」「近代ヨーロッパにおける近代ヨーロッパのための古代史の再構成(創造)」の2つの--それはきわめて大事な--テーマである。
岸本さんは、時系列順の叙述でなくテーマ史にしなければ、限られた時間のなかで高校生にギリシア・ローマは教えられないと考えておられるが、それは「自分が習った世界史Bの教科書並みの事項を揃えないと叙述ができないという、まじめな研究者の陥りがちな誤解」だと、私は散々主張してきた。

私の本の背景には、もちろん阪大歴教研での議論の積み重ねがある。私の本が出た2009年以後にも、議論は進んでいる。本特輯を組まれた皆さんも、一過性に終わらせずに、さらに議論を積み重ねていただきたい。われわれもよろこんで議論の相手になろう。

悪口のついでに、歴史学の社会的有用性の議論が「日本社会にとっての意義」に説明なく短絡されている点が、「古い西洋史」を引きずっている、という批判もしておいたほうがよいかもしれない。たとえば「東アジア諸国の西洋史学界の交流」は近年盛んだが、その意義は純粋にアカデミックなものだけではないだろう。阪大では「日本史や西洋史のアジアにとっての社会的意義」という議論もずいぶんしたものだ。

それにしても、何度も言っているがこういう形で議論がおこるのは西洋史ばかりで、東洋史からはほとんど議論が出てこないのはどうしてだろう。

最後に別件だが、今日は8月6日。
この日に世界に向かって原発廃止を宣言できるような政権を、われわれは永遠に持てないのだろうか。
過去の失敗の歴史をめぐってぐずぐずゴネるよりも、ずっと世界に与えるインパクトが大きく、日本が尊敬される道だと思うが。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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