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学びの基本

私はああだこうだといろんなことを言うが、実は「基本が身につかないうちにあれこれやってはいけない」という日本的な考えに賛成である。ただ、なにが基本かという点で、大部分の教育現場でおこなわれていることには矛盾や倒錯がある。「基本」と称して3千も4千も語句を覚えさせる世界史教育が正しくないことは、もはや繰り返すまい。

では基本とはなにか。
たとえば在日外国人へのヘイトスピーチや、未婚の母になったフィギュアスケート選手へのバッシング・ハラスメントなどについて、
(1)世の中にはやって(言って)いいことといけないことがある。どんなに多数が賛成でも、愛好しても、やってはいけないことがある。それを破ったら民主的で多元的な社会は壊れる。
(2)自分の意見や感情を仲間以外に対して表明する際には、相手の気持ちになって考える、外から自分を批判的に見るなどの方法で、自分の意見・感情に矛盾や問題がないかいちおう考えたうえで表明する。それをしない(できない)のは赤ん坊と同じである。
などの基本的な感覚が身についていないから、こんな恥ずかしい事態になる。

教育が一定の誘導・強制を含むものであること(広く言えば民主社会というのは「自由放任」でなく、「公平なルールの強制」を含むこと)を認めるのであれば、上のような基本は義務教育段階で徹底的に教え込まれるべきだろう。もちろんこれらは、学校だけで教えることではないが、それにしても、これらが身についていない生徒は中学校を卒業させないぐらいのことがあってもいいはずだ。知識やスキルはあとからでも教えられるが、こういう基礎のところで勘違いをしてしまったら、あとから直すのは大変なことだ(だから高校や大学も会社もみんな苦労している)。

こういう感覚が身についているかどうかは、もちろんマルバツや穴埋めテストで測れるものではない。また「道徳教育問題」と同じで、国が特定の評価基準を設けてそれを強制するというのもまずいだろう。だからといって、学校教育はこういう問題に関与しなくてよいことにはならない。やっていいことといけないことの区別ができない膨大な数の大人や子供が生まれてしまったこの状況に、学校教育は責任がないということにはならない。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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