西村昌也氏の葬儀

13日にハノイの国防省葬儀場で、西村氏の葬儀が、ベトナム社会科学アカデミー考古学院長トン・チュン・ティン氏の司会進行により、盛大におこなわれたそうだ。
こういうふうにしてもらえる人物を、一介のポスドク研究者にとどめた日本のアカデミズムの中にいることに、自責の念を感じざるをえない。

当日のVTV1(日本で言えばNHK第一)のニュース番組でも葬儀のようすが放映されたとか。
ネットでもいろいろなURLの情報が友人たちから流れてくる。
http://vnexpress.net/gl/doi-song/cau-chuyen-cuoc-song/2013/06/le-tang-dam-chat-viet-cua-tien-si-khao-co-hoc-nhat-ban-1/page_2.asp?q=1

http://tuoitre.vn/Chinh-tri-Xa-hoi/553774/nha-khoa-hoc-lan-dan-lang-kim-lan-deu-khoc-dua-nishimura.html#ad-image-0

http://vn.news.yahoo.com/con-trai-nh%C3%A0-kh%E1%BA%A3o-c%E1%BB%95-nh%E1%BA%ADt-ng%C3%A2y-th%C6%A1-170003941.html
*これらのキャプションを自動翻訳にかけないでください。とんでもない訳が出てくる場合があります。

村側の申し出を遺族が了承したことにより、かれが窯址を発掘し、かれが運動して村立陶磁器博物館を建てさせたキムラン村(例のバッチャンの隣)の村民の共同墓地に埋葬された。あまりに悲しい死だが、葬られ方としては、地域研究者の理想だろう。今度ハノイに行ったら、お線香を上げに行こう。
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西村君のこと。

 ベトナムに行くようになって、もう20年以上経つ。毎年、1回は行っている。私が訪越した時、彼が来日した時はその都度会った。ある日、ドンソン遺跡の発掘に誘われた。同室であったが、彼は発掘の準備や研究に余念が無かった。私は彼の手助けになる自信は無かったが、ベトナムで発掘をしたい旨を伝えた。金は無いが食事と寝る所は確保するからいつでも来てくださいと言ってくれた。
 今年もキムランを訪れた。西村君・Toànと私は、酒とbánh xèoを供食した。私は酔いつぶれ金襴博物館に隣接する家に住む老人に誘われ寝込んでしまった。夢の中で考えた。恐らく彼の子供の頃の魂は、紅川を下り黒潮に乗って東シナ海を渡り下関に着いていることだろうと。しかし、夫・父そして研究者としての彼は、未だベトナムにある。
 私にできることは、彼の終の棲家に生える雑草を引き抜くことだけである。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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