昭和史のかたち

保阪正康氏による毎日新聞の連載コラム。
大阪本社版の今朝の10面に、「安倍首相の「占領憲法」意識 平和求めた先達への侮辱」という題で掲載されている。

現憲法の制定に一身を賭した吉田茂や幣原喜重郎、全面的賛意を表していた昭和天皇の努力、熱意に考えが及んでいないことを批判する。
マッカーサーが天皇象徴化や戦争放棄条項を入れるように命じたのは、幣原と長時間の会見をしたのちだという証言なども紹介する。
「我が国が全世界中最も徹底的な平和運動の先頭に立って指導的役割を占むることを示す」という幣原の、吉田内閣の国務省としての貴族院演説も引いて、「安倍首相の歴史観が、こうした先達の労に思いをはせていないことに愕然とする」と締めくくる。

いけないのは「押しつけ憲法」の「空想的平和主義」ではなくて、幣原のような「平和運動の先頭に立つ」決意をお蔵入りにして、他国の属国としての平和を享受する道」をとった戦後歴代政権や、それを支持してきた人々ということになるだろう。

今日の朝刊では、昨日の続きの「イマジン 第3部えらぶ」が年金・医療費などの世代間格差をとりあげて、恒例の有権者の意見ですべてが決まってしまわないように、有権者年齢の引き下げ(20歳以上なんて世界の圧倒的少数派であることは、学校現場や入試で常識として覚えさせる事項にならねばいけないだろう)や世代別選挙まで含めて検討すべきだという意見を紹介する。

記事全体はそれを強く主張しているわけでないが、結びでいう「自分の利益ばかり主張するのでない、民主主義の成熟」は本当に必要だ。右肩上がりの時代は、自分の利益だけ主張していればあとは「見えざる手の采配」で全体がよくなるという考えも成り立ったが、現在も今後もそれは社会の自滅につながる。

歴史学も人ごとではないのは、再三述べてきた通り。
「イスラーム史が足りない」「中央ユーラシア史が軽視されている」「東南アジア史をもっと増やせ」
こういう声だけあげていればよい時代は終わった。
「全体がこうだから(こうあるべきで)、したがって自分の分野はこのぐらい必要だ」というかたちで、全体像のなかでの位置づけを示さねば、自己主張は正当性をもたない。
いらぬ説明を付け加えれば。この場合の全体を論じるとは、「単純・一元的な説明で全体をぶった切る」ことではない。
複雑さに極力注意を払わねばならない。

毎度の手間味噌だが、そのために私と仲間たちは、世界史の教科書を作っているつもりである。


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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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