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ベトナム原発問題(2)

原発が造られようとしているニントゥアン省は、チャム族が住む地域として知られる。
かつて拙著『チャンパ』(桃木至朗・樋口英夫・重枝豊共著、めこん)で書いたように、このあたり乾燥がきつく農業生産力が低いがゆえに、近世ベトナム王朝も無理に直轄化しようとしなかった地域である(1830年代にようやく直轄化)。

独立後・南北統一後もさまざまな振興策が講じられたが、決定打はなく、そこに原発計画が振ってきたわけだ。
「都会が過疎地に危険なものを押しつける」という差別に加え、民族差別の構造も含まれている点は、日本の沖縄基地問題と共通点があるという指摘も、今回のパネルで出された。

しかし一番はっとさせられたのは、古田先生の「(かつて排除してきた)チャム族を、(地域振興の切り札である原発を与えるという「優遇策」によって)ベトナム国民共同体に入れてやろうという主観的な善意」が政府にあるのではないかというコメントであった。

上記『チャンパ』や岩波の『海のアジア史』で書いたが、ドイモイ後のベトナム政府や学界の路線は、チャム族とチャンパーに対して、たしかにその歴史と文化の独自性を認め称揚し、それを通じて国民共同体の「多様性の中の統一」を強調するものだった。世界経済への参入・統合を至上命題とする国家路線のなかで、海洋王国チャンパーの歴史はプラスのシンボルとされてきた。チャム族の知識人たちも、それに「協力」しながら独自の歴史・文化像を「構築」「創造」しようとしてきた。

そういうここまでの動きから見れば、古田先生の指摘はきわめて説得力があるように思われる。
もちろんこういう「善意」は、差別意識とも客観的差別構造とも両立するのが普通である。
それどころか、「そういう目にあわされているマイノリティに同情する」われわれの善意の視線自体が、「かわいそうな人々」という、一緒の差別意識の再生産につながりかねないことは、開発学などの現場を見れば明らかだろう。
いずれにせよ、「善意の押しつけ」をひっくり返すのは簡単でない。

ベトナム戦争と社会主義のおかげで、ベトナムに関わる外国人は一般に「善意」に満ちあふれている。
その分、これまでは他の開発主義国家などと比べて、ベトナム国家・社会そのものの理解についても、研究者や市民運動家の--ベトナム政府批判を含めた--「かかわりのエートス」についても、ナイーブな議論や行動が野放しにされてきたように思われる。
そこを考えるきっかけとして、今回のシンポは有意義だったと思われる。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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