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過ちを犯したものは愛せないか?

現代日本で「愛国」を唱える人々の多くは、「日本(だけ)が悪者にされている」ことを嫌悪する。

だが、一定以上の大きさを持った国で、罪や過ちを犯したことのない国があるだろうか?
そして、自国が罪や過ちを犯したら愛国は不可能になるのだろうか?

「愛国」を唱える人々の多くは、家族道徳を称揚し、それを愛国と結びつける。だが、罪や過ちを犯した家族員にも向けられるものを、家族愛と言うのではないだろうか? それは、罪や過ちを認め償わせることと両立するはずではないのか? 悪いことをした家族を無理をしてかばい他人に責任を転嫁するか、さもなければ愛するのをやめて責め立てるなどというのは、深尾さんのいう「タガメ女」の思想そのものではないだろうか? もし他人の過ちを指摘したいなら、自分の過ちを素直に認めたうえでやるほうが説得力をもつのではないのか?

これは新しい論点ではないが、「愛国」を唱える人々からまともな説明を聞いたことがない。
この人たちが、本当に家族道徳を大事にしてはいない証拠だろう。
 
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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