歴研大会(その2)

(承前)コメントの横山伊徳先生は、「それでは19世紀アイヌ諸集団に、カザフ草原でありえたような「臣従する相手を選ぶ」可能性はありえたか」、「ロシア帝国のカザフ統治の経験は、アイヌ支配に反映されていないか」といった、蝦夷地とカザフを比較する意味の明確化を迫るコメントは、さすがと感心した。

私は「だれのために」「だれの歴史」を語るのか、という歴研ではおなじみのコメントを一ひねりした。
「アイヌを主語(歴史主体)にした」歴史を語ろうとする谷本さんに対してあえて、「歴史に「主語」は必須か」と問いかけたのである。
私の生かじり言語学の話を聞いたことのある方はご存じの通り、「主語」(や主述構造、SVO構造の文)というのはあらゆる言語に必須のものではなく、近代西欧諸語において特殊な発達をとげたものである。ヨーロッパ言語でも、格変化ですべてをあらわす方向に発達したロシア語は、主語を必須としない。
日本語やベトナム語も主語は必ずしも存在しない言語で、必ず必要なのはむしろ「主題-術語」構造ないし「場所-術語」構造であろう。それらの言語で動詞の能動態と受動態や他動詞と自動詞が必ずしもはっきり区別できないのは、「主語-目的語(客語、補語)」という対立が絶対でないことを反映している。したがって、日本語で「必ず主語のある文を作ろう」と思うと不自然になることが多い。

閑話休題。私が上のようにコメントした理由は、東南アジアのような地域で特定の民族集団を「主語」にすることは相対的な積極性はもちえても、究極的には必ず矛盾が起こるからである。アイヌに関しても、樺太アイヌを語るならウイルタやニブヒの事をなぜ語らなかったかというコメントが会場から出たように、だれを主語にして語るかが一筋縄ではいかないのは明らかだろう。

こういう私のコメントに対し、会場から「主語を”否定”することは、権力への免罪にならないかという疑問が呈されたが、この「誤解」へのリプライを通じて、私は自分の意図をよりクリヤーに説明することができた。私はおおむね2つのことを説明した。
第一に世の中には明らかに間違った言説がある、それが支配的な場合、闘ってを覆さねばならない。そういう意味では、「アイヌを主語にする」谷本さんの戦略に私は賛成する。
第二にそもそも、私は主語を「否定」していない。私が否定したのは「主語の普遍性」である。主語が必須だと考えると、東南アジアや旧ソ連、旧ユーゴスラヴィアでおこったような、果てしのない「主語をめぐる争い」に陥る危険がある。むしろ「場」やそこでの「関係」を主題にした歴史叙述が有効な場合があるのではないか。

野田さんへの質問で、野田さんのカザフ草原の歴史は「カザフスタン共和国の求める歴史」と合致するかと尋ねたのだが、これも「カザフ人を主語にする」だけだと、ヨーロッパの植民地史観を批判する時点では共闘していた東南アジア各国のナショナルヒストリーとアメリカ式の「地域研究」がのちに喧嘩別れしたように、問題がこじれる恐れがある。

ここであえて、歴研(の多数派?)に向けた二つの悪口を言いたい。
(1)歴研は「どんな場や相手にも通じる唯一の正解」を見つけ出す場ではない(なくなっている)はずである。「だれを相手になにを語るのか」という報告者やコメンテーターの戦略を見ずに、一般論で「侵略や抑圧を免罪する」と批判する傾向がまま見られるのは、「弁証法的でない」。
(2)歴史学と同じように、言語学も進歩している。それは「言語論的転回」だけではない。むしろ重要なのは「インド=ヨーロッパ語族の歴史の再構成」のためにつくられた言語学という学問が、インド=ヨーロッパ語族や西欧諸語を絶対の基準としなくなったことである。いわば歴史学における「ヨーロッパ中心史観の克服」と同じことが可能になったのだ。われわれが言語を用いて研究し表現する以上、そういう言語学の基本問題には敏感であるべきだ。

とはいえ、研究部の皆さんにはお世話になりました。海域史や日本史の著名な研究者もおおぜい来られ、面白い全体会だった。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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