侵略の学術的定義?

96条改憲が旗色が悪くなってきたので、戦線を写そうとしているのかもしれないが、お子ちゃま首相よりは賢そうな大阪市長もすごいことを言ってる。

「従軍慰安婦」問題で、国内外の批判にかみあった反論をしていない点(軍や政府の直接関与の証拠の有無が争われてるのではない)は、おおぜいが指摘しているのでここでは繰り返すまい。

それよりひどいのは、「侵略」に学術上きちんとした定義がない(のに日本が非難されるいわれはない)という詭弁。独裁国家と違って、こういう問題について自然科学のような意味で「学術上の定義」はできないのが、学問・言論の自由を保障する民主主義国家ではなかろうか。それでも、「学術上の定義がないこと」を決めている法律はいくらでもあるだろう。法律家として橋下氏は、そのことを知っているはずである。

こういう議論がまかり通ることになると、
-なにが民主的かの学術的定義はないから、改憲案は非民主的だという批判は受け入れないぞ。
-危険とはなにかの学術的定義はないから、原発は危険だという批判は受け入れないぞ。
-人間の幸せとはなにかの学術的定義はないから、政府が国民の幸福を考えていないという批判は受け入れないぞ。
などなど何とでも言えてしまう。


極端な「学説」がありさえすれば、どんなに学界と社会の常識であっても、「学術上の定義はないから」その考えが否定することが許されるということにもなりかねない(現に南京大虐殺否定論があるから教科書に書かせない、などの形でそれが実現されている)。

もう1点、「敗戦の結果として侵略だということは認めなければならない」という発言。これは勝っていれば認めなくてよかったと読めるだろう。こういう、「勝てば官軍」「負けたら何をされても文句を言えない」式の考えが現代日本に急速に広まっているが、それは発展途上国では普通でも、現代の先進国にはふさわしくない。日本が先進国であり続けることを願う者は、こういう考えと闘わねばならない。先日も書いたがそうしないままで96条改憲などしたら、安倍首相にせよ橋下市長にせよ、権力の座から滑り落ちたときにどんな報復を受けかねないか、わかってるんだろうか。
近代世界はそういうことにならないように、犯罪者だろうが敗者だろうがすべてがもつ「天賦の人権」という考えを発達させてきたのだ。安倍さんや橋下さんが個人として破滅型の人生を歩んでも知ったことではないが、そのとばっちりを国民や世界の人々に食わせないでほしい。

(蛇足)すでにアベノミクスによって、アジア研究をする学者は痛めつけられている。外交関係は悪化するは、円高で現地調査や国際会議に行きにくくなるはで、「アジアは敵だから研究するな」とでも言うつもりだろうか?
私が今参加しているベトナム調査の科学研究費プロジェクトも、採択後の円安で実質的に20%ほど金額が減ったが、中国と仲の悪いベトナムは、日本政府にとって大事な味方じゃなかったのか?





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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