ベトナム戦争と朱印船

明日の日曜、日越友好協会大阪府連の事務所で、
http://nhatvietosaka.jp/
ベトナム南部解放に関するDVDを見ながらおしゃべるする会を2時からやるそうだ。私が知っている日本人やベトナム人もいろいろ出てくるDVDがあるらしい。なんで日本のある世代がベトナム戦争というと夢中になったのか理解できない若い人にも見てほしい気がする。海域アジア史研究会とぶつかって行かれないのが残念。

同じHPに案内が出ているが、翌週の19日の日曜は、嵐山の大悲閣千光寺を訪ねる計画があるそうだ。朱印船貿易で知られた角倉家のゆかりの寺で、最近もベトナム人との交流をしているとか。角倉家のことは、九博の「大ベトナム展」でももちろん展示があった。

ちなみに、先年の札幌の高校での出前講義から先日の九博での講演まで、あちこちで紹介してきたネタだが、朱印船貿易とベトナム戦争時代の日本企業の東南アジア進出には共通点がある。
どちらの時代も、本来主要な貿易相手だった中国との関係が悪化しているため、代わりに日本人が東南アジアに経済進出したのである。ちなみに17世紀の場合、朱印船貿易の終了(鎖国)後もしばらく、中国人やオランダ人の手で大規模な越日貿易が維持されたが、17世紀末以降には江戸幕府の対外貿易縮小政策と、中日貿易がふつうに出来るようになった(清朝側の政経分離政策のおかげで)かげで、越日貿易を含む東南アジアと日本の貿易は見る影もなく縮小していったと考えられる。それは、16世紀末~17世紀初頭の日本人がベトナムなど東南アジアの産物を、ありあまる銀にものをいわせて買いあさった時期以来、対日貿易依存度が高くなっていたベトナムやその他の東南アジアに大きな打撃をあたえた可能性がある(十分研究が進んでいないが)。

「チャイナプラスワン」とかいうだけで、相手のことがよくわかっているわけでもないのに東南アジアやバングラデシュ・インドに日本企業が進出する現況は、いつか日中関係が好転した際に、17世紀末と同じ結果になるんじゃないかという心配をかきたてる。

蛇足だが、17世紀前後のベトナムの南北分裂が、ベトナム戦争の前提になっていることも、何度も何度も何度も何度も書いてきた。それ以前の「ベトナムというのは北部しか存在しない」状況では、「ベトナムの南北分断・抗争」はおこりえない。中部・南部まで領域にしたところに長期に分裂が続き、生態・地理だけでなく社会・文化的にも大きな差異ができたこと、19世紀阮朝の統一はその差異を超える統一性を創り出す十分な時間がなかったことが、ベトナム戦争の伏線になる。ベトナム戦争のことを深く理解したい人は、こういう歴史を学んでほしい。

さらに蛇足だが、フランスの分割統治や米ソ中の介入が、ベトナム戦争という巨大な悲劇の直接の原因になっていることはもちろんである。ただ、そういう現代の事情しか見ないのは浅い見方だし、大国の動きでなんでも説明するのは、中小国の主体性を無視した「大国主義」である。それでは、ベトナムは理解できない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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