人文系の意味(補足)

以下も何度も話したり書いてきたことがらだが、納得してくれている人はごく少数なのでしつこく書く。

「好きだからこの道を選ぶ」というのは、たとえば大学選びのような「入口」の動機として正しい。そこで仮に、よりカネになりそうなorより社会の役に立ちそうな他の分野を選んだとしても、「好き」でなかったらうまくいかないだろう。

・しかし、大学を出た立派な大人が「好きだから」しか言わない/言えないのは、スポーツ界や芸術界ならともかく、学問の世界ではちょっと恥ずかしくないか。まして大学には、私大も含めて(この事実を知らない人が多すぎる)税金がつぎ込まれている。「好きだから税金を使います」でいいのだろうか。つまり「好きだから」は必要条件ではあっても、十分条件ではない。

・天才ならそんなことはどうでもいい。世界トップレベルなら文句を言われる筋合いはない。ノーベル賞をとれば、日ごろ人文系は役に立たないとか言ってる連中がひざまずく。小説のようにみんなに感動を与えるものでなく、アカデミズムの外にいる人にはわからない歴史の研究だったとしても、世界トップレベルならそれでいい。その点はスポーツや芸術・芸能の世界と同じだ。

・しかし、スポーツや芸能でトップレベルでない人は、食っていけない。もしくは「ゴルフのレッスンプロ」「野球のコーチ」「サッカー解説者」「ピアノの先生」など「一流のプレーヤー」とは別の生き方をしなければならない。それらの道で食っていくためには(野球界など単なる「名選手」がコーチや解説者になれる遅れた世界を別とすれば)、まず「自分の分野について他人に語れるように」なり、そのうえでコーチングやスポーツ医学、マネージメントなど、スポーツや芸術・芸能のプレーそのものとは違った技術やスキルを学ぶ必要がある。プロ野球界であれば、自分の分野を語るためにものすごい努力をした豊田泰光さんの例が参考になる。

・それなのに「トップレベル」でない「人文系の研究者」が「素人にはわからない研究だけで」「一生食って」いけるのはおかしくないか。食っていくためには、「教育」「社会貢献」など別の能力を身につけるべきである。そのために大学院に行くことは歓迎されるべきである。
※これは現に職がなくて苦労しているポスドクの皆さんの手前言いにくいことがらではあるが、あえて「ゴーマンかまさせて」もらう。なお、現在の貧困な文教予算がそれでよいなどと言ってるのでないことは、再三再四書いてきたとおりである。

・すばらしい研究はもちろん、すばらしいコーチングやすばらしい解説、すばらしい通訳も、高給を保証されてよい。社会科学系を卒業した並みのビジネスマンなどより、すぐれた人文系の通訳が高給を保証されないのは、社会的に適切でない。そうなっていないなら、人文系はそのために闘わなければならない。

・こうした闘いの一環として、「人文系は床の間の生け花だ=なくてもすむが、あるとその家の格が上がる」「人文系は社会の潤滑油やビタミンだ=糖分やタンパク質・脂肪とは役割がちがうがやはり必要」などの理屈は使ってよいだろう。

・しかし、「工学系・医歯薬系や社会科学系の攻撃から人文系を守る」という受け身の発送に終始したのでは、経済縮小時代には苦しい。「カネがないのだから遠慮してもらおう」と言われたらそれっきりになりかねない。そうでなく、「それでは工学系・医歯薬系や社会科学系は本当に世の中の役に立つのか」と切り返す準備、そのためのシミュレーションなどが必要である。実はこれらの専門家は、まさか自分たちが役に立たないと言われるとは思っていないので、「役に立つから役に立つ」「好きだから」というような、理屈にならない理屈しか言えないことが多い。「原発村」の人々でなくても、ツッコムのは難しくない。

・別の話で、「好きであること」「オモロイ学問をやること」は、私が主張するような「意味のある人文系の学問」「役に立つ学問」をすることと対立するような非論理的誤解が、人文系の側に往々にして見られるが、そんなことはない。たとえば戦後すぐの時点で、マルクス主義歴史学があれだけ流行ったのは、「変革の学」としての有用性・実践性を主張しただけが理由ではない。それはまぎれもなく「面白かった」のである。いままで関係あると思われていなかった土地所有や経済構造と、政治や社会が(当時としては)クリヤーに結びつき、一国の社会がトータルに理解できる、そこにわくわくする知的興奮があったのだ。日本で矮小化されたアナール派などの社会史も、斬新な面白さの背後に、学問と社会に対する鋭い問題意識があったのだ。

・最後に繰り返す。こういう話しをみんながする/いつもする必要はない。超然と学問をする人もいていい。ただそれは少数の例外であるべきだ。みんなが/いつも超然としていていいかのような、今までのありかたはおかしい。80%の「専門家」は、必要な場合にこういう話しができるようにしておくべきだ。そうなっていない(できる人が一桁少ない)現状は間違っている。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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