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金にならず世の中の役にも立たない人文学?

C大の院入試で、人文学の意義を直球で問う出題があったそうだ。
人文(科)学の大学院など進学して、金にならないし世の中の役にも立たないことをやってどうするのだ、と伯父さんに言われたらどう答えるかという出題。
https://twitter.com/roi3331/status/331787122451288064/photo/1
阪大の学部入試の小論文でも、ずいぶん前に類題が出ている。
実際に親やまわりからこういうことを言われた経験のある学生や研究者は数多いだろう。

これには当然、「いや、人文学が役に立たないというのは偏見(誤解)だ」という方向の解答と、「金になるか、役に立つかだけでものを判断するのは考えが浅い」という方向の解答があるだろう。人文系の研究者・教員なら圧倒的に後者の解答が多いような気がする。

阪大哲学系や史学系は、「後者の考えは基本的に正しい」ことを認めつつ、しかし「答えは相手や状況による」という前提のもとで、前者に重点を置いた教育をしている。
そこにある問題意識は、前者にせよ後者にせよこれまでの人文系の答え方は稚拙で古く(そもそも学者が職業として成り立つなどというのが近代の特殊性であること、20世紀までに成立したどの分野もそのまま存続すべきだという考えは「右肩上がり」を前提にしなければ成り立たない、などという人文系こそがするべき歴史的省察を欠いている)、自然科学・社会科学系や財界・市民などそれぞれの立場で、ツッコミどころ満載であること、とりわけ「役に立つ」側の論理を練り上げる努力が諸外国にくらべて日本はひどく弱い。「変革の学問」マルクス主義の失敗に懲りて、「たらいの水といっしょに赤ん坊を流してしまった」人文系の姿がここにある。

この出題も、「役に立つ」系の答えと「役立つかどうかで判断するな」系の答えのどちらを出題者が期待しているかによって採点が違うので、解答はギャンブルになりそうだ。そういう前提のうえで、私なら(似たようなことを今までに何度も書いたが)以下のような方向を適宜組み合わせて答案を書きそうだ。複数の方向を考えるのは、ある問題に対してひとつしか可能な解答を思いつかないような人間を知識人とは言わない、という私の性格から来ているのはご存じのとおり。

(1)私大の大学院といえども一定の税金を使って運営されているので、「純粋に好きなことだけ研究する」道が高度成長期のように、日本中の大学の大勢の学生・院生に一般的に許されるかどうかは、たしかに議論の余地がある。ただ、自分は未開拓の○○の分野(たとえばベトナム中世史)で世界初の研究をしたいと志している。世界レベルの研究を、金にならないとか直接世の中の役に立たないとかいう基準で切り捨てるような国に、先進国と名乗る資格があるかどうか、自分は疑問に思う→京大の入試なら、私はここだけを力をこめて800字書くだろう。

(2)人文学のすべてが金にならないし世の中の役に立たないと考えるのは無知である。出版・報道・メディアなどの業界や、歴史・文化・文化財などの領域は、人文学出身者なしには成り立たない。それらの仕事が社会的に無用だなどとは、伯父さんも考えないはずである。
ただそれらの仕事は従来、学部卒で十分つとまると考えられてきたが、学問の複雑化・高度化によって、現在は大学院レベルの知識やスキルが不可欠な職場や活動が増えている。初等・中等教育にけおる文系科目の教員も同じことだし、それらいろいろな活動がいまや国際化しているので、専門性をもった通訳・翻訳者などの需要も増えている(たとえばアンコール遺跡やタンロン遺跡をめぐる国際協力)。人文学の大学院生イコール研究者一本槍と昔は考えられたが、そんなことはなく、自分も△△分野の新しい専門家になるために大学院に行くのだ。

(3)フランスに典型的に見られるように、多くの国でリーダーや外交官は哲学や歴史の素養を必須とすることは伯父さんもご存じだろう。「職業としての専門研究」という意味では人文学は直接世の中の役に立たないとしても、人がよりよい生き方を考え、また現代を理解し未来を選択するために、こうした人文系の良質な素養を欠いた「大人」「市民」というのは危なくて見ていられない。つまり「世の中の役に立つ」には「積極的な価値を生み出す」ものと「ないと困るもの(マイナスを防ぐもの)」の2種類があり、少なくとも後者の意味で人文学は世の中の役に立つのである(医学の中の「病気を治す」部分と同じ)。
さらに言えば、医学にはひごろの健康を作り出す部分がある。同じように人文学には、豊かな精神生活というプラスの価値を作り出す役割もある。その逆に、医学の悪用やニセ医学と同じで、悪質な哲学・思想や歴史観は、戦争を引き起こすなど社会を破壊する。それを防ぐ点にも、「人文学の専門家」の社会的意義がある(→平雅行・竹中亨流なら、ここで人文的素養のない社会がどんな悲惨なことになるかを、思い切り脅す)。そのような意味で自分は人文系の研究を深め、将来はたとえば□□カフェなどを通じて、市民社会をつくり守ることに貢献するつもりである。

私が院生に要求しているのは、どの解答を選ぶかは別として、性格の違ったこの3つの答え方をすぐ思いつくようになることである。





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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