共産主義と社会主義の違い

去年の7月末など、何度も書いた話なのだが、今年も「市民のための世界史」の受講生は(日本が中国から受け入れたものと受け入れなかったものを、隋唐時代を中心に書け」という小テストの余白に)質問してきたので、あらためて書いておこう。複数の答えがある。

1)マルクス・エンゲルスなどの段階では、まだ両者は十分区別できない。どちらも革命によって資本主義の欠陥を克服した先に来る、理想的な社会をイメージしているのだが、書物は「共産党宣言」でも、19世紀に作られた組織は「ドイツ社会民主党」「ロシア社会民主労働党」など「社会主義」がふつうだったような点に、両者がはっきり分かれていない状況が反映されている。人間を抑圧する装置である「国家」も共産主義になれば不要になる(眠り込む)というマルクスらの考えも、今すぐ国家のない社会を作ろうという「無政府主義」と複雑に混じり合っていた。

2)レーニンがロシア革命に成功すると、ボリシェヴィキが「ソ連共産党」として天下を握り、他の国々でもいろいろな社会主義政党の中の左派・ソ連派が独立して、つぎつぎ「共産党」を結成する。ソ連では、「戦時共産主義」「NEP]などいろいろな試行錯誤を経てスターリン体制が確立すると、(1)「労働者の前衛党」が指導し、「集団所有」や「計画経済」が実現しているが、まだ生産力が低いので、労働者は「能力に応じて働き労働に応じて受け取る」社会主義段階、(2)生産力がもっと発展し、「能力に応じて働き必要に応じて受け取る」共産主義段階という区別が設けられ、現実のソ連の状況はまだ社会主義段階にあるとされた(この規定はソ連滅亡まで基本的に変わらない)。この考えでは、ボリシェヴィキ型政党やそれを中心とする連合政権が権力を握っても、まだ資本主義経済や封建経済が残り、集団所有や計画経済が実現していない段階は、社会主義ではない(「人民民主主義」などいといろな仮の呼び名が使われた。また、社会主義段階では帝国主義国の圧力もあって、対外的にも国家(それも一党制の政治体制)がなくせないが、共産主義段階では帝国主義は姿を消しており、対外的にも対内的にも国家が不要になると考えた。
 ちなみに、ソ連崩壊と中国その他の市場経済化によって、こういう国家体制の意味では、どういう状態が社会主義でどういうのが共産主義か、ほとんど定義できなくなっている。ソ連や中国の独裁、民主主義破壊をきびしく批判した日本など資本主義国の「共産主義者」「社会主義者」も、「生産手段の私有制の否定(集団所有)」「平等な社会作りと教育・福祉・医療などの充実」「第3世界の独立を支援するような平和主義、反帝国主義」などが社会主義だと信じることが多かったのだが、ソ連その他の国々でこれらが本当に実現はしていなかったことが、今や明らかである。現在は、どうやったらそれらの理想が本当に実現できるかの明瞭な答えはどこにもない・

3)アメリカなど資本主義国では、ボリシェヴィキ型(ソ連型)の共産党の運動や、それが政権を握っている国家・社会を「共産主義」と呼び、資本主義社会の改造を呼びかけるさまざまな思想・運動の総称である「社会主義」一般とは区別する。
 ではボリシェヴィキ型共産党(名前は国によって労働党とか人民党とかいろいろあり、その場合はその他の社会主義系の政党と、名前だけでは区別できない)とはなにかというと、国ごとの違いなども大きく定義は困難だが、(1)かつてコミンテルンの一員だったなど、系譜的なソ連とのつながり、(2)国の政治体制としての「プロレタリアートの執権(プロレタリア独裁。つまり「労働者の前衛党」による一党支配の肯定)」や党内の「民主集中性(中央集権・上意下達の政党運営のしくみ)」などの政治原則、(3)私有財産制(消費財まで含むような意図的曲解がよくあるが実際は生産手段の私有制)のほぼ完全な否定(農民世帯の「自留地」など部分的な私有はたいてい残る)、などが比較的よく出てくる要素だろう。
 なお「一党独裁」で「福祉の充実」をはかるのは、ナチスなども同じである(ナチスが党名の一部に「社会主義」「労働者」を掲げていたのはご存じのとおり)。「一党」ではないが日本の総力戦体制~大政翼賛会という流れもだいたい同じである。アメリカでは共産主義やナチズムはすべて、アメリカ式の「自由」を否定する、「全体主義」の多様な形態の一つとされる。他方「共産主義」の側から見れば、ナチズムやファシズムは

片方に「アメリカの言葉遣い」が刷り込まれた政治家やビジネスマンがたくさんおり、他方に「雀百まで」で昔覚えたソ連の公式を語りつづけるオールド左翼も根強い日本では、マスコミなどでも2と3の用法が入り乱れでいるので、ごっちゃにするとなにがなんだかわからなくなる。ところが世の中に出回っている説明は、大半が2と3のどちらかからの一方的な説明である。共産主義や社会主義が「もあはや学ぶ必要のないことがら」ではないとすれば、それではまずい。

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こんにちは。

2)と3)の意味で私は高校生に説明をしていますが、あながち間違ってはいないのですね。それにしても、言葉というのは発する人によって意味が違ったりする(あるいは発する側と受け取る側で意味が違う)というのを理解させるのが非常に難しいですね。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
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