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憲法記念日にふりかえる日本史と東アジア史

仲間内ではさんざんしてきた話だが、日本の律令制が最終的に廃止されたのはいつか、皆さんご存じか? 

それは明治維新である。「征夷大将軍という令外官(りょうげのかん)が統治した」武家政権時代に、律令制は全否定されていない。つまり摂関政治のあたりから始まって、日本は解釈改憲状態を1000年近く続けたのだ。
こういう歴史と国民性から見ても、現在の改憲論には疑問がある。

この論には簡単な反論ができる。「昔と現在は国際情勢が違う、今は改憲しないと世界に(アメリカに?)通用しない」

ただ昔も、「朝貢しないなんて世界に通用しないぞ」と中国が強烈な圧力をかけてきたような時代があった。というか律令制の導入自体が「遣唐使という朝貢使節」を送らざるをえない国際環境のなかで選択されたことだったのだが、「白紙に戻す遣唐使」が出来たあとも、明初などは朝貢してしかも冊封を受けないと貿易もなにもさせないぞという大変なプレッシャーがかかった。

その時期の権力者、足利義満は俗説で言われるように天皇位乗っ取りをねらったのでなく、そもそもが「公武権力の協力による朝廷の再建」をねらった人物であり、摂関家以上天皇家未満の実力を求めたに過ぎないのだそうだ。その対外政策も--当時の幕府や支配階級が権力と権威を維持するには貿易の利潤と「唐物」の入手は不可欠だったという条件下で--周到な権力基盤固めと国際情報収集にもとづき。天皇制という憲法と、冊封を要求する明からの外圧を両立させようとしたのが、足利義満とそのブレインたちだったというのが、橋本雄さんのNHK『さかのぼり日本史 ”日本国王と勘合貿易”』の議論のキモである。

ここで足利義満が将軍職をすでに退いていた(かつての院政同様、公式の官僚機構ににらみがきき、しかもそこから超然と振る舞うこともできる)点がミソだったという橋本さんの説明は、南宋の冊封を受けていた大越・陳朝の太宗皇帝が、元に攻められてそちらにも朝貢しなければならなくなった際に、退位して上皇となったうえで元に通交した(南宋との通交は息子の聖宗に委ねる)という山本達郎『安南史研究I』の指摘とかさなるところがあって興味深い。ただ義満が将軍職を退いていた事実は、高校入試を混乱させてはいるが。つまり「日本国王名義で日明勘合貿易を始めた将軍はだれか」とやりたいのだが(実際そういう問題が何度も出ている)、実際は「前将軍」である。しかし中学教科書に将軍の在職年まで詳しく書いてないので、「前将軍はだれか」では出題にならないのである。

その後も、やたら突っ張った豊臣秀吉が朝鮮侵攻に失敗し、日中間の国交が明治維新まで断絶したままだった間に、18世紀に清朝側が「政経分離」で長崎貿易を認めたような例がある。東アジア史から橋本さんのいう「大人の対応」の例を学ぶことは大事だろう。ちなみに橋本さんによれば、財政難で足利義政時代から勘合貿易の権利の切り売り(利権のばらまき)を初め、しかも財政難で朝貢貿易を制限しようとしている明の事象を考えずに多数の船を送ったりしたことが、日明間のあつれきを生み倭寇の伏線になっていくのだそうだ。その延長上に、海賊をおさえたうえで「勘合の支給」を要求した(それ自体は足利義満と同じパターンなのだが、交渉が拙劣だった)豊臣秀吉がくる。「国内でのばらまきと対外的無神経→やがては強硬政策」。どこやらの現政権がこういうのはまずいと気づいてくれるといいのだが。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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