世界史雑記帳(19)~世界史のなかのオランダ~

皇太子夫妻のオランダ訪問をめぐり、毎日新聞朝刊のコラム「金言」に、戦後の日蘭関係修復にこのほど退位した女王が果たした役割が紹介されている。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130503ddm003070115000c.html

記事にあるように、日本人は鎖国時代の交流についてオランダに親しみをもっているが、その世界史的位置づけについて正確に教えられているとはいえない。
ウオーラーステインの近代世界システム論によれば、17世紀なかばのオランダは、「最初の覇権国家」である(もちろん反対する説はあるが→玉城俊明『近代ヨーロッパの誕生』講談社選書メチエ)。日本が鎖国でオランダ(東インド会社)以外のヨーロッパ勢力を締め出したというのは、ヨーロッパ最強の国だけと結んだということだ。17世紀末からオランダはしだいに衰退するが、それでも現在に至るまで、ヨーロッパ経済に大きな位置を占めている(たとえばインドネシアは超巨大植民地だった)。
17世紀ヨーロッパ史の教科書記述では、英蘭戦争でイギリス(イングランド)が勝ったこと、経済的にも政治的にもイギリスが進歩したこと、またルイ14世のフランスのことなどがやたらに強調されるが、これは英仏を日本の近代化のモデルとした明治以降の歴史学(典型的にはイギリス至上主義の大塚史学)の悪弊で、実際の英蘭戦争における「イングランドの勝利」のインパクトは、ペルシア戦争における「ギリシアの勝利」とそんなに差がなかったように思われる。別の角度から見れば、近代日本の歴史学は「農民中心の社会の近代化」を経験しなかった社会に関心がなかったのだろう。

ついでにこの先は海域アジア史関係で再三述べてきたが、江戸幕府が鎖国で中国およびオランダとだけ長崎貿易を認めたというのは、東アジアとヨーロッパの最強勢力をそれぞれ選んだということである。それを当時の情勢下での賢明な選択ととるか、それとも日本らしい「上ばかり見る態度」ととるかは、意見がわかれそうだが。そのなかで貿易額では中国人(東南アジア華僑を含む)との貿易が3分の2、オランダが3分の1であり、そのオランダとの貿易は、バタヴィアなどアジア各地の商館との間の貿易が大半だった(岩生成一、山脇悌二郎、中村質など「日本対外関係史」の分厚い研究蓄積がある)。貿易面ではヨーロッパとの直接の結びつきは微々たるものだった。つまり、江戸時代後期の蘭学が日本人の思想的「脱中国」に貢献したことなどを認めるにせよ、鎖国時代の長崎貿易は、基本的に「アジア間貿易」だったのだ。

もう一つは飲み会などでときどき話す小ネタ。いずれにせよ鎖国時代の日本人が交流したヨーロッパの国はオランダだけだった。幕末にアメリカやらなんやらが来たときの交渉に、最初はオランダ語の通事がかり出された。また、上記のように現代オランダは、日本のけっこう重要な取引相手である。それでは、現代日本の外国語大学に(旧大阪外大=阪大外国語学部も)オランダ語科がなくて、大学でオランダ語を習おうとするとインドネシア関係の専攻か日本対外関係史の先生のいるところ、まれに西洋美術史の先生のところなどに行かねばならないのはなぜだろうか。このブログをご覧のみなさんは答えられますか?

答えは意地悪で後日書くとして、都知事がトルコ側と「世界について語り合いたい」と言ってもかれが習った時代の世界史教育では喧嘩にしかならないのと同様、オランダについての教育内容も(イギリス中心主義やフランス崇拝から自由になって)大きく是正する必要がある。それが最初にあげた毎日の記事が紹介するオランダ女王の厚意にこたえる道ではないか。



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No title

「東アジアとヨーロッパの最強勢力をそれぞれ選んだということ」というご指摘にナルホド、と。授業で使いたい話でした。
で、「大学でオランダ語を習おうとするとインドネシア関係の専攻か日本対外関係史の先生のいるところ、まれに西洋美術史の先生のところなどに行かねばならない」理由ですが、インドネシア関係はオランダの植民地であっったこと(ジャワ原人のデュボワも確かオランダ人)、日本対外関係史は「オランダ風説書」などオランダと日本の交流が深かったからだろう....と予想はできます。でも何故に西洋美術史の先生なのでしょう??ルーベンスとかレンブラントとかフェルメールとかフランドル派など日本人が好きなアーティストが多いからでしょうか??いずれにせよ、「現代日本の外国語大学に(旧大阪外大=阪大外国語学部も)オランダ語科がない」という理由の説明にはなりませんね。降参です。
ベルギーではオランダ語も公用語になってるようですね。地理ではワロン語とかフラマン語とか習ったような気がします。ベルギー発行の「ワーテルローの戦い」の記念切手を買ったら、二つの言語で国名が書いてありました。どちらがオランダ語かは分かりませんが(笑)
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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