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世界史雑記帳(18)~都知事が知らなかったこと~

都知事はどうも、トルコは「ヨーロッパと関係ない」「アジアのイスラーム教国」と認識しているように見える。

だが都知事は商売柄、トルコがEU加盟をずっと要求していることは知っているはずだ。一人あたりGDPなどの経済水準で、トルコは南欧諸国に遜色ない。
サッカーのヨーロッパ・クラブチャンピオン決定戦にトルコのチームが出場していることも、よく知られているはずだ。

ただ、地理や世界史について旧い教育しか受けていない世代は、トルコの国民(や歴史上のオスマン帝国の臣民)がイスラーム教徒だけでなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒が山ほど住んでいること、そもそも中近東というのはイスラーム教徒だけの世界ではないことなどは認識していないのだろう。ケマル・アタチュルクがとったヨーロッパ・モデルによる近代化政策も習ったはずだが、ケマル以後のトルコについては「イスラームの発展途上国のひとつ」ぐらいの認識しかもちえなかったに違いない。中東諸国に共通するイスラーム政党と軍部の争いなどが続いてきたのも事実だが、ヨーロッパ諸国が全部民主的かといえば、東欧や南欧にそうでない例をみつめるのは簡単なことだ。ところが旧い世代は、「アジアと違うヨーロッパ」を考える際にはなぜか西欧だけを基準とするので、トルコがヨーロッパと連続していて切り離しがたいといった発想はできない。

旧い世界史でも、オスマン帝国がヨーロッパ政治に強い影響を与えていた事実は書かれていたのだが、それはあくまで「外部からの侵入者」としてであった。しかし、反ハプスブルクで一致したフランスとオスマン帝国の親密な関係のように有名なことがら以外にも、北方戦争でロシアに侵入してピョートルに敗れたスウェーデンのカール12世はたしかオスマン帝国に逃げ込んだよね。
すっかり衰えた帝国末期にも、第一次世界大戦(日本では「欧洲大戦」とも呼んだ)にオスマン帝国は参戦している。かつてのオスマン帝国も現在のトルコ共和国も、アジアとヨーロッパにまたがった国家なのだ。そのことがわかる世界史や地理の教育を設計・実践しなければならない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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