大ベトナム展(7)~南の中華帝国ベトナム~

グエン(阮)朝の皇帝の冠が2点出品されている(図録No.49、50)。どちらも5本爪の竜が描かれている。
タンロンでも、私の授業に出席した学生は毎年見ているように、5本爪の竜を描いた15世紀の青花(染め付け)の碗が出土している。
中国で、5本爪の竜が皇帝にしか許されていないことはご存じの通り。
そう、ベトナムは10世紀以来一貫して、独自に皇帝の称号を用いて中国に対抗してきたのだ。同じ小中華タイプの国家でも、朝鮮とは対照的だ。

といっても10世紀の中国では、分裂状況のもとで南中国の「十国」のいくつかが皇帝を称しており、宋王朝がそれらを全部つぶす前の968年(もしくは966年)に皇帝を称した大越も、当初は「自立した節度使政権」いわば「10国ならぬ11国のひとつ」に過ぎなかった(拙著『中世大越国家の成立と変容』序章)。

しかし宋が南中国まで統一してしまうと、こうした論理は無意味になる。そこでおそらく、古田元夫氏が「南国意識」と名付けたような、「中華世界の南半を占める帝国」というイデオロギーが構築されてゆく。14~15世紀に『大越史記全書』のような歴史書や、『粤甸(えつでん)幽霊集』『嶺南摭怪(せっかい)列伝』などの伝説集の編纂とともに、「北国(現実の中華帝国)と対等で、それとは区別された独自の領域、文化、歴史をもつ南の帝国」という理念が確立する。つまり中華世界がつねに南北朝状態なのだ。

19世紀の阮朝は、その前の分裂時代にメコンデルタまで広がった領域を統合し、空前の大帝国を築いた。
そこでは、黎朝までの「大越」の継承者という理念と、「南部から出て北部を平定した別の国家」という理念が併存していたが、中国との関係では「自分こそ南の中華」という意識を強め、1838年には清に認められた越南の国号を、大南に改める(もちろん清には隠して)。近刊の『グローバルヒストリーと帝国』所収の拙論をはじめ、何度も書いてきたように、中国に朝貢せずに独自の帝国(中国と対等な)を志向した日本、中国の冊封を受けほとんどの時期に称号は国王で我慢した朝鮮、中国の冊封を受けながら中国に隠して皇帝を称し続けたベトナムの三者三様のありかたは、実に興味深い。

今日のプロ野球はがっかり。もっともライオンズ菊池、ホークス武田など若い力の活躍は見ていて楽しい。
ファイターズは小谷野の復調、中田の進境、アブレイユの日本への適応とクリーンアップがすごくよくなってきたので(おまけに両武田も出てきたし)、例年通り上位進出しそうな感じだ。





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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