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大ベトナム展(6)~大越の国号~

ベトナム史の概説書には通常、『大越史記全書』(15世紀後半に編纂された編年体史書。現存するのは17世紀の増補版以降の諸テキスト)にしたがって、968年にはじめて北部ベトナムで皇帝を称した丁部領(ディン・ボ・リン)は国号を大瞿越(ダイコーヴィエット)としたが、1054年に李聖宗が大越に改めたと述べる。ハノイで私が留学したハノイ大学ベトナム語科(当時)の近くにもダイコーヴィエット通りという大通りがある。

しかし今回の展示(No.32)には、10世紀のタンロンで使われたらしい「大越国軍城磚」という文字入りレンガが出品されている。実は同じものは、10世紀の旧都(タンロンに1010年に遷都する前の、丁朝・前黎朝の都)ホアルーから見つかっていることが、以前から知られている。

拙著『中世大越国家の成立と変容』(p.9)でも書いたのだが、おそらく大瞿越は大越史記全書の間違いである。「瞿Cồ」はチューノムとしては「大きい」「巨大な」「至高の」などの意味があり、李朝の金石文などには同じ意味と思われる「巨越」「鉅越」などの表現が見える。つまり10世紀から李朝にかけては、純粋漢字の「大越」と「おおきい越」という漢字仮名交じり的な表現が併存していたと考えられるのである。

こののち18世紀末まで、ベトナム王朝はほぼ一貫して大越の国号を使い続けたはずなのだが、15世紀の文献に頻出し17世紀末の日本宛書簡にも用例が見える「天南国」など、よくわかっていない国号が実はある。「越南」も公式の使用は阮朝からだが、その前からあったという話はいろいろ知られている。いずれにしても前近代ベトナムの国号とそれを通じた自己規定は、「越」という一種のエスニシティと、「南」(中華世界の)という方向性を軸に展開していたのである。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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