ポピュリズムと独裁権力

忙しくてすぐに記事が書けなかったのだが、大阪府議会で君が代斉唱を義務づける条例が(議員の定数削減とともに)無理矢理採択された。繰り返すが「どうしてもいやだ」という人を多数決で排除するのは、底の浅い未成熟な社会である。

こういう「与党はなにをしてもいいのだ」というやり方をしていると、野党に転落した場合には新しい与党から「どんな手を使ってもお前たちをつぶしてやる」という仕打ちを受けることにつながるから、民主主義が掘り崩されてしまう。

しかも知事や与党は、先日書いたように本当の愛国心などもってはいない。むしろ、長期的に日本がどうなろうとそんなの知ったこっちゃないという人々である。ではなぜ君が代を歌わない教員を処罰しようとするのか。それは「われわれに逆らうとこういう目にあうんだ」という「見せしめ」であり、「君が代を歌わないような異常なヤツはみんなで袋だたきにしよう」という「いじめへの大衆動員」である。こういう状況が続くとやがて、権力者が命令などしなくても、下から自然に「相互監視、相互摘発」の仕組みができ、独裁権力を支えてくれるようになる。
歴史を学んでいれば、そういうことに「成功」した権力者がたくさんいたことがわかる。スターリンのソ連はその典型的な例だろう。大阪の知事さんは権力は大好きだがイデオロギーはどうでもいい人だから、もし旧ソ連に生まれていたら共産党体制下でのし上がって、いまごろどこかの小さな共和国の独裁者ぐらいなっていたかもしれない。

問題は、そのての独裁は永続しないし、特殊な条件下で「開発独裁型」が機能する場合以外は、国家・社会を一方的に停滞・荒廃させるということである。

私は本当は、こんな話より野球や鉄道のことが書きたい。頼むからこんな馬鹿な政治はやめてほしい。

(付録)このての権力を批判するのになんでもかんでも「ファシズム」呼ばわりするのは学問的に正しくないし、政治的にもあまり賢明ではない。元来、ファシズム(イタリアで作られたイデオロギーや政治体制)は非民主的な権力すべてを包括することばではない。独裁の仕組みや自己正当化の方法にはいろいろなパターンがあり(「全体主義」もそのすべてをカバーはしない)、それによって違った批判や闘争のしかたが必要になるはずである。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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