スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大ベトナム展の話(2)~迦知安とはどこか?

大ベトナム展の図録に、藤田励夫氏による日越外交文書の解説文(「外交文書にみる16~17世紀の日越交流」)があり、朱印船に関して、安南、東京、交趾などと並んで迦知安という渡航先の記録があることが記されている(岩生成一先生の『朱印船貿易史の研究』に、迦知安行きの朱印状が1通だけ発行されたことを紹介する)。

藤田氏は迦知安の場所について、「ホイアンに近い地であり太守とした阮氏の王太子が駐在していた」と正しい説明をしている(17頁)。つまり阮氏の「広南営」の地である。しかしはそれをなぜ迦知安と読んだのかは説明していない。これは管見のかぎり、岩生先生もふくめてだれもきちんと説明していないので、ここで紹介しておこう。

迦知安は、ベトナム語の口語Kẻ Chiêmの当て字である。Kẻ Chiêmに類する発音は、大航海時代のヨーロッパ人の地図にしばしば記録されている。当時のタンロン(ハノイ)をKẻ Chợといったように、Kẻは土地・地域を指し、
Chiêmは「チャム」の意味だから、Kẻ Chiêmは「チャムの土地」の意味になる。15世紀の大越の漢文史料では、チャーキュウなどチャンパー全体の政治中心があったクアンナム地方を、「占洞」「太占洞」などを呼んでおり、ホイアン付近の河口は19世紀まで「大占海口」などと呼ばれている。その「占洞」に対応する口語ベトナム語(漢語ではない)がKẻ Chiêmだと考えられる。朱印状にそれが記録されたのは、日本人ないしは中国人のなかに、漢字でなく耳から入った口語で地名を覚えた者がいたということになる。

漢語も含め、こういう「耳から入ったベトナム語」の地名・人名や官職名などは、大航海時代のヨーロッパ史料や日本史料にいろいろ記録されているのだが、まともな研究がほとんどない。ベトナム語音韻史そのものは清水政明さんなども詳しく研究しているので、面白い研究ができそうな気がするのだが。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。