「大ベトナム展」特別講演会

九博(九州国立博物館)の「大ベトナム展」はなかなかよかった。
昨日は特別講演会で私と古田元夫先生が講演。古田先生の近現代の日越交流の話。1944~45年の「200万餓死」も含めて、わかりやすくまとめられた。

私の話は毎度の使い回しで、前半に私の研究テーマ(李陳朝の王家の系図と婚姻、村落社会と碑文、タンロン都城のプラン)を日本との比較の観点から紹介、後半で阪大の2007年の入試問題(日本の朱印船が伝統的な貿易相手でである中国でなく台湾・東南アジア各地に渡航したのはなぜか)を枕に、中・近世のアジア海上貿易の大きな流れを説明、日越関係が単なる2国間関係として展開したのでなく、日中関係を中心とする大きな動きの中で変動したことを説明した。

何度も話したが、室町幕府の衰退後に日明の国家間貿易ができなくなったうえに、秀吉の朝鮮侵攻で日中間の国交回復が絶望的になったが、日本銀と中国生糸を軸とした巨大な貿易需要があったため、ヨーロッパ人による仲介貿易や中国商人による第3国経由での日本渡航とならぶ便法として、朱印船は台湾・東南アジアに渡航してそこで中国商人やヨーロッパ人と「日中貿易」をおこなったのである。もちろんあわせて、朱印船は東南アジア、インドやヨーロッパの商品を、おもに日本銀を対価として買い入れた。そういう朱印船貿易のなかで、ベトナムは最大の渡航先だった。

つまり朱印船の東南アジア進出は、「中国に進出できないから東南アジアに行く」という1960~70年代と同じパターンだったのである。しかし17世紀の場合、日本の鎖国に日本町は消滅においこまれ、半世紀後の江戸幕府による貿易縮小策(世界的経済危機への対応)によって、日越関係そのものが(中国経由の貿易はなくなりはしないが)ほとんど断絶する。日本はこの貿易縮小後に国内の市場経済の発展など近代化の前提をつくってゆくが、日本向けの生糸や陶磁器などの輸出が衰退したベトナム(とくに北部)は、自給的な村落共同体に閉じこもってゆく。日本はベトナムなど東南アジア諸国を犠牲にして生き残った、と言えなくもないのだ。

今回は歴史教育の話しが中心だとことわって講演したので、最後は(とってつけたようだが)2つのまとめをした。第一は国際関係や国際交流は「バイからマルチへ」の流れにあること、つまり日越関係を二国間で考えるだけでなく、多国間関係のなかで理解すべきこと。
第二に、現在の「チャイナ+1」といった判断での--つまりベトナムそのものをきちんと相手にしたわけではない--ベトナムとの交流は、日中関係改善など大きな情勢が変われば、17世紀と同様にまたベトナムが見捨てられることにもなりかねない、そうでない広く深い相互理解のきっかけにこの特別展をしてほしい。

示し合わせたわけでないのだが、古田先生も現在の日本企業で、「ベトナム語のできる日本人を雇わなくても日本語のできるベトナム人を雇えばよい」と考えるものが多いのを、「それでよいのだろうか」と話された。
ベトナム人の日本語能力や忠誠心をけなす意味ではないのだが、それで日本側が、ベトナムでの/ベトナムとの経済活動に本当に責任をもてるか疑問である。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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