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嘉義農林と台湾出身の野球選手

「海角7号」などで知られた台湾の映画プロデューサー魏徳聖氏が、日本統治期の1931年に甲子園で準優勝した嘉義農林学校を描いた作品「KANO」を製作中という記事が、毎日朝刊「ひと」欄に出ていた。

嘉義農林からは、甲子園準優勝より後だと思うが、呉昌征という名選手が出ている。巨人-阪神-毎日で1937年から57年まで20年余りプレーして、首位打者2回など駿足好打の外野手としてならしたそうだ。敗戦直後にはピッチャーも掛け持ちして、ノーヒット・ノーランもやったとか。

ほかにも戦後の2リーグ分立後にどちらも内野手としてプレーした今久留主淳、功の兄弟なんてのも嘉義農林出身とプロ野球史の本に書いてある。審判になったのはどっちだっけ?

その次に台湾出身の選手が日本プロ野球で活躍するのは、1980年代のことだ。郭泰源、郭源治、荘勝雄などが思いだされる(その前にホークスがスカウトした高英傑などの選手がいたが、残念ながら活躍しなかった)。
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ホークス展の台湾選手

岡村俊昭選手も台湾出身として紹介されていましたね。1944年に首位打者、戦後もホークスで活躍されたとか。

戦前の甲子園では、台湾の高校だけでなく、京都平安高校などで台湾出身の選手たちが活躍していたようなので、その意味でもkanoは楽しみです。

Re: ホークス展の台湾選手

> 岡村俊昭選手も台湾出身として紹介されていましたね。1944年に首位打者、戦後もホークスで活躍されたとか。
ご指摘ありがとうございます。
>
> 戦前の甲子園では、台湾の高校だけでなく、京都平安高校などで台湾出身の選手たちが活躍していたようなので、その意味でもkanoは楽しみです。
はい、野球とは関係ないですが、逆に台湾からベトナムに行った人のことを、吉澤南「私たちのなかのアジアの戦争」という本が取り上げていたことなども思い出します。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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