中国はいつも「小さな政府」だったか?

『「日本史」の終わり』についてもう1点。

中国はずっと「小さな政府」だったという前提で議論が進んでいるように見えるが、他の前近代世界帝国では人口比での官僚の数はもっと少なく、機構も単純なのが普通だった。だから他の世界帝国は中国のように長続きしなかった。中国は世界史上では「中規模の政府」をもつ国家だったのだ(リーバーマンの理解)。もっと官僚機構が弱くて国家が分裂した方が、ヨーロッパ的にコースが生まれてよかったかもしれないという話しそれとは別の問題である。

清代は人口が急増するのに官僚機構を拡大できなかった(そんなことをしたら、漢人官僚がいよいよ多数を占めてしまう)ため、最後は「小さな政府」になるが、逆に「冗官」が大問題になった宋代は、ずいぶん緻密な行政がおこなわれており、残っている記録を見る限り、社会をかなりよく把握・管理している(岸本美緒説)。ちなみに宋代以降も、科挙(一般受験者用)の、それも最終合格者だけが官僚になったのではない。また、明代以降と比べて、専制国家の完成度はまだまだ低い。それらの意味で、現代中国理解の前提となるようなホッブズ的社会は、やはり清代に成立したような気がする。

もうひとつ別の問題は、モンゴル時代である。遊牧国家では権力や社会構造の多元性は中華帝国と比べて法制的に強く認められている。遊牧国家の研究者が西洋的基準での近代はモンゴルから始まったかのようにいうゆえんである。近代がモンゴル時代が続いていれば、中国には別の権力形態が実現したかもしれない。その意味でも、宋代に中国的近世の道筋が定まっていたという説は、近世漢学の強い影響下で遊牧民など「蛮族」が「見えなくなった」京都学派の限界を表している--杉山正明氏による裏返しの主張が避けられない--ように私には思われる。




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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
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