『「日本史」の終わり』
池田信夫・與那覇潤両氏の対談を本にしたもの(PHP研究所刊)。神戸三宮のジュンク堂で売り切れ。大阪梅田の紀伊国屋で1冊だけ残っていたのを買った。帯には「明治維新後、貪欲に西洋化・近代化を図り、わが国は世界に類を見ない高度成長を遂げた、という通説は幻想だった!!」とある。日本がいかにダメか、これからどうすべきかを縦横に論じている。
人類史や世界史に関する最近の思想家や研究者の色々な説が要領よく紹介されており、そういう本を滅多に読まない私には勉強になる。
農耕の発生以後の歴史だけを考える日本の通例に反し、人類史の圧倒的部分を占める狩猟採集時代を基準にものを考える(→はじめに暴力と戦争ありきとか、人間は放っておけばほとんど理性では動かないという話しになる)点、生産より戦争を制御する仕組みとして国家が生まれたこと、中国はその早期に発達した形態だがそういう面での発達が遅れた西洋が偶然に法による支配や議会政治など特殊な理性的仕組み(=近代社会の原理)を発明したこと、日本は「中国化」も「本当の西洋化」もできずに行き詰まっていること、西洋の大分岐(Great Divergence)による近代化が世界史を支配した時代は終わり、現在は世界の収斂(Convergence)が進んで大分岐以前の勢力分布に回帰しつつある、など興味深い論点がつぎつぎ示される。日本に関するお二人の議論は、東南アジアにも共通する部分が多い。
ただし、専門家でない人の史論に目くじら立ててはいけないのだが、教会と世俗権力の分立など西洋近代化の原因論は、昔からの話しに戻っているのではないか(ヴェーバーの読み直しなどは参考になるが)。
また儒教を民衆に関係なしとするのは、いかにも古い。近世以降の中国・東アジアはそれでは理解できない。中国の宗族や朝鮮の両班だけでなく、日本も含めた民衆の通俗道徳と、それを通じた「下からの管理社会/相互監視社会形成」は、儒教抜きでは理解できないだろう。
また中世日本が「中国化」できなかった理由や、「江戸時代化」が実現した理由を、日本が外から攻められなかったとか稲作社会だからとかいう「古来おなじみ」の理由で説明するなら、もう少し「新しくわかった具体的背景」を論じてほしい。
御成敗式目がヨーロッパ的な王権を掣肘し私有権を絶対化する法にならなかったこと、それ以前に律令法が本来のあり方では回らなくなったことに共通する原因は、10~13世紀日本の経済的停滞だというのが、このブログで何度も紹介したアメリカのリーバーマン(Victor Lieberman, Strange Parallels, vol.2, Cam-
bridge University Press, 2009)の理解である。日本はアルプス以北のヨーロッパのような中世温暖期の影響をあまり受けていないという見方が背景にある。
なお、戦国時代に信長出現まで「低レベルの戦争状態が延々と続いた」背景は、リーバーマンも含めこれまでの研究で十分解明されていないように思われる(「鉄砲とキリスト教伝来」「信長の天才」などでいいんだろうか??)
江戸時代が「地域ごとに固まってみんながそこそこの暮らしをする社会」になったのは、17世紀の寒冷化と遠隔地交易の衰退など、世界史でいう「17世紀の危機」のなかでそうせざるをえなくなったせいだろう(ミネルヴァの「土地稀少化と勤勉革命の比較史」のなかの江藤論文など)。もし安土桃山期の好景気が続いていたら、「金ぴかで外国人だらけの近世」になっていたかもしれない。
そういう文句はあるが、江戸時代以来の日本の「政権交代は認めないかわりに全員にいざという場合の拒否権を与える仕組みゆえ、日本は「損切り」ができない社会である」「中国に対抗するには中国が掲げる普遍的原理をほめまくってその実現を迫るしかない」などの指摘(後者は與那覇さんの「中国化する日本」以来の主張)はとてもいいと思う。
いずれにしても、日本を含め、近世以来の世界の構図が今や根本的に変わりつつあるということは、もっとみんなの常識にならねばいけない。
人類史や世界史に関する最近の思想家や研究者の色々な説が要領よく紹介されており、そういう本を滅多に読まない私には勉強になる。
農耕の発生以後の歴史だけを考える日本の通例に反し、人類史の圧倒的部分を占める狩猟採集時代を基準にものを考える(→はじめに暴力と戦争ありきとか、人間は放っておけばほとんど理性では動かないという話しになる)点、生産より戦争を制御する仕組みとして国家が生まれたこと、中国はその早期に発達した形態だがそういう面での発達が遅れた西洋が偶然に法による支配や議会政治など特殊な理性的仕組み(=近代社会の原理)を発明したこと、日本は「中国化」も「本当の西洋化」もできずに行き詰まっていること、西洋の大分岐(Great Divergence)による近代化が世界史を支配した時代は終わり、現在は世界の収斂(Convergence)が進んで大分岐以前の勢力分布に回帰しつつある、など興味深い論点がつぎつぎ示される。日本に関するお二人の議論は、東南アジアにも共通する部分が多い。
ただし、専門家でない人の史論に目くじら立ててはいけないのだが、教会と世俗権力の分立など西洋近代化の原因論は、昔からの話しに戻っているのではないか(ヴェーバーの読み直しなどは参考になるが)。
また儒教を民衆に関係なしとするのは、いかにも古い。近世以降の中国・東アジアはそれでは理解できない。中国の宗族や朝鮮の両班だけでなく、日本も含めた民衆の通俗道徳と、それを通じた「下からの管理社会/相互監視社会形成」は、儒教抜きでは理解できないだろう。
また中世日本が「中国化」できなかった理由や、「江戸時代化」が実現した理由を、日本が外から攻められなかったとか稲作社会だからとかいう「古来おなじみ」の理由で説明するなら、もう少し「新しくわかった具体的背景」を論じてほしい。
御成敗式目がヨーロッパ的な王権を掣肘し私有権を絶対化する法にならなかったこと、それ以前に律令法が本来のあり方では回らなくなったことに共通する原因は、10~13世紀日本の経済的停滞だというのが、このブログで何度も紹介したアメリカのリーバーマン(Victor Lieberman, Strange Parallels, vol.2, Cam-
bridge University Press, 2009)の理解である。日本はアルプス以北のヨーロッパのような中世温暖期の影響をあまり受けていないという見方が背景にある。
なお、戦国時代に信長出現まで「低レベルの戦争状態が延々と続いた」背景は、リーバーマンも含めこれまでの研究で十分解明されていないように思われる(「鉄砲とキリスト教伝来」「信長の天才」などでいいんだろうか??)
江戸時代が「地域ごとに固まってみんながそこそこの暮らしをする社会」になったのは、17世紀の寒冷化と遠隔地交易の衰退など、世界史でいう「17世紀の危機」のなかでそうせざるをえなくなったせいだろう(ミネルヴァの「土地稀少化と勤勉革命の比較史」のなかの江藤論文など)。もし安土桃山期の好景気が続いていたら、「金ぴかで外国人だらけの近世」になっていたかもしれない。
そういう文句はあるが、江戸時代以来の日本の「政権交代は認めないかわりに全員にいざという場合の拒否権を与える仕組みゆえ、日本は「損切り」ができない社会である」「中国に対抗するには中国が掲げる普遍的原理をほめまくってその実現を迫るしかない」などの指摘(後者は與那覇さんの「中国化する日本」以来の主張)はとてもいいと思う。
いずれにしても、日本を含め、近世以来の世界の構図が今や根本的に変わりつつあるということは、もっとみんなの常識にならねばいけない。
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