イエン=サリ死亡

カンボジアのポル・ポト派(クメール・ルージュ)のリーダーの一人だったイエン・サリ元副首相が、死んだそうだ。
かれらが建てた国家「民主カンプチア」は、日本で今でも好きな人が多い「1968年」が生み出したとびきりの鬼っ子だったのだが、きちんとした総括なしに歴史の闇に消えていくのだろうか。

ポル・ポト政権が自国民を大虐殺しベトナムに喧嘩を売ったので、たまらずベトナムが攻め込んだとき、米中が結託してタイ国境に逃れたポル・ポト派を助け起こし、反ベトナムのゲリラ戦を続けさせた(そのころのベトナムはインドシナの盟主という思い上がった意識をもちながら、ベトナム戦争中の延長で世界が味方してくれると信じて失敗したとも言われる)。
そのとき中国への贖罪意識からポル・ポトを支持し、かれらの大虐殺をしばしば否定してまでベトナム(や背後にいるソ連)の侵略を非難した日本政府・財界(もちろんそれだけでなく対米従属や中国市場の魅力などもあった)や、社会党・新左翼系知識人(まだ毛沢東思想にしがみついていた)の態度は、今ならネット右翼のかっこうの攻撃対象になるものだった。今年の日越国交樹立40周年記念というのは、そういう過去にお互い目をつぶったうえで行われている。そのとき中国とポル・ポトの言い分を鵜呑みにしなかった日本のマスコミは、ほぼ赤旗と産経新聞しかなかったと記憶している。

ちなみに去年、ASEANが南シナ海問題で中国を非難しようとしたとき、議長国のカンボジアがストップさせた。ポル・ポト政権を否定したはずのカンボジア現体制も、反ベトナム意識の方が強いせいか、けっこう中国が好きなのである。
教科書にも書いてきたが、反ベトナム意識の歴史的背景は、
(1)近世にベトナム王朝(阮氏)に圧迫されて多くの領土も奪われた。
(2)植民地時代のインドシナ三国ではベトナムが圧倒的に大きく官僚機構なども発達していたため、下級官吏や商人、漁民など多くのベトナム人がカンボジア(やラオス)に入り込んだ。カンボジアから見ればベトナム人が「フランスの手先」の役割を果たしたことになる。
(3)ホー・チ・ミンはインドシナ三国に別々の共産党を作ったうえで相互協力しようと考えたが、民族問題を軽視していたコミンテルンが、機械的に「インドシナ共産党」を作らせたため、人数や経験で圧倒的に勝るベトナムの共産主義者が、カンボジア(やラオス)の革命運動まで指導することになり、現地の活動家に反発を残した。フランス留学で毛沢東思想を身につけたポル・ポトは、この反感を利用して「ベトミン系」の活動家を追放し、カンボジアの共産党(抗仏戦争中に形式上、ベトナム、カンボジア、ラオスの3党が分離)の実権を握った。

というふうに、これでもかこれでもかと重なっている。
もっとも(1)でベトナムに劣らず、植民地時代以降に西部の領土を取ろうとかいろいろ仕掛けてきたタイに対しても、反感はかなりのものである。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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