人のふり見てわがふり直せ

教科書会社の知人が「日本人のための世界史入門」という新書(新潮新書)でお前がけなされているが知っているか、と教えてくれた。

帰宅途中に石橋の本屋によると、小さな本屋でもちゃんと置いてある。
ひょっとして、と思っていたが、案の定著者は、プログで私の「わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史」を「暗澹たる気持ちになった」とけなした、おそれおおくもかしこくもかの偉大なる評論家の領袖、われらが首領、百戦百勝の大将軍小谷野敦さまであった。以前一度、お名前を出さずに部分的な反論をしたことがあるが、より広くの人々にご高名とその威令を知らしむべく、ご本名を書かせていただこう。今回もブログとほぼ同じ私への非難が書いてある(コピペしたわけね)。

いや、すばらしい。他人の悪口が大好きで、きちんと読まず、わかってもいないことを批判してしょっちゅうボロを出している私に、そういうことをやるとこんなに悲惨な恥をかいて紙のムダとしかいえない本を出すことになるから反省しろ、と身をもって教えてくださる。ああ、ありがたやありがたや。

本書からわかること。小谷野大先生のような読書人にかかれば、歴史を書くなんて軽いもんだ。専門性など必要ない(まあ、世間ではそう思うよね)。まして「ヴェトナム」語やビルマの外交関係なんて、ちょろいもんだ。

大先生は、99年版の世界史総合図録を除き、1990年代以降に世界史の学習指導要領と教科書はみていらっしゃらない(変わったと私が書いてるのを読む、ないしはそれがウソだと証明するために現物を確かめる)ことはなさっていない。天才にそんなことは必要ないのだろう(265ページに「私は知っていることを確認するために本を読むということが嫌い」だとお書きになっているが、いや、知らないことも確かめる必要がないのだから、いやさすが天才)。
本文も、最後の現代の章は大先生が勉強された1970年代まででほぼ終わっている。現代にうとい私などは、冷戦終了後の世界についての天才のご高説を学びたいのだが、そんなことは無用であるらしい。オレが覚えた歴史が歴史だ。いやいや恐れ入りました。

そして、他人の本や研究を読む際に文脈を読む必要はない。天才だから。
私が「ミャンマー」と軍事政権が唱える国名を書いたのを、鬼の首でもとったかのように非難していらっしゃるが、私は文脈によってビルマとの書き分けをしている。しかし、天才には私のような無名の学者の書くものを注意深く読む必要はない。

大先生の結論はこうだろう。今までの有名な歴史学者は全員馬鹿である(大学教授をやっつける、て世間に受けるんだよね)。
天才である大先生がある事柄をご存じない(理解できない)というのは、その事柄がこの世に存在しないことを意味する。そして世界史の真実は、大先生だけが理解しておられるので、それを愚昧な大衆に教えてやる必要がある。だから書名には「入門」がつく。
本文には、中国王朝の名前の暗記法とか、西洋各国語の人名対照法など、受験でおなじみの暗記の手引きをわざわざ書いていらっしゃる。やっぱりこういうのは暗記しておくべきなのだそうだ。
ああ、ありがたや、ありがたや。

序言で、歴史は偶然で法則性や意味を考えても仕方ないという、単にあった事実だけを確定すればよいと力説しておられるが、すぐあとで「史観」のない完全中立はありえないといい、そのまた次では「物語のない歴史は退屈である」ののたまう。17~18ページのあたりなどその論理の混乱に目がくらむが、要するに大先生がなさりたいのは、法則性や意味を論じた者、史観なき完全中立が可能だという論者、物語を軽視する論者などを次から次へとなで切りにすることであって、その結果ご自分の論旨が支離滅裂になろうと、天才にそんなことは問題ではないのだ。あなかしこ、あなあなかしこ。

「クロムウェルの名前さえ知らない学生に、小乗仏教でなく上座部仏教だと教えるような(桃木のような)学者に我慢ならない」「「小乗仏教」は歴史的呼称である。言い換えたければ言い換えてもいいが、別に間違いではない」(32ページ)。ああ、素晴らしい。皆の者、ヨーロッパ中心主義と大乗仏教にひれ伏せ。差別がなんだ。こちらにおわすお方をどなたと心得る! 天才はなにをしても許されるのだ(良識派ぶった言い換えを批判するご説明が266ページ当たりにありがたくも書いてある)。
ちなみに拙著は、小谷野大先生のご高著と違い、学生や市民が覚えるべき内容ではなく、教員が知って(理解して)おくべき内容を書いた本なのだが、そんな性質の違いにも天才は気づく義務はない。ああもったいなや、もったいなや。

本論の書き出しで、大河ドラマの「平清盛」にふれ、「王家」という呼称が問題になった件で独自の解釈(空想)を書いておられるが、歴史を論じるのに事実にもとづく必要は、天才である首領様に限って必要ないらしい。

以下、お得意の文学・映画をはじめ教養と博識をひけらかしひけらかし、お話しはあっちへ曲がりこっちへよたり、私のような教養のない凡愚の徒にはついていきがたい。そう、そんな風に疑ってはいけないのだ、馬鹿者。わからないから有り難いのではないか! そもそも我は文化人なるぞ。文化を理屈でわかろうとするからいけない、体で味わえ!

あとがきにもちゃんと「歴史の知識は、だいたいでいいのである」「知識人や学者が専門的な議論をする時は、「だいたい」では困る。しかし、一般読書人の歴史の知識は、だいたいでいいのである」とちゃんと逃げを売っておられる。さすがに天才は賢い。

最後に私は自己批判しなければならない。
私は研究を始めた1980年代に、小谷野大先生が愛する山川出版社の世界史教科書(当時)の表記に従い「ヴェトナム」と書いていた。そのことを明確に公開の場で自己批判したことがない。
しかし留学してベトナム語を習った結果(その前にロシア語を習ったこともあり)、「ヴェトナム」が不適切な表記だと理解したので、1990年代以降は出版側がどうしても認めないものを除き、すべて「ベトナム」と書いてきた(自力で変えられなかった帝国書院版教科書も、一生懸命主張した結果、とうとう変えてくれた。ちなみに小谷野大先生は見ておられないようだが、山川はとっくに変わっている)。「ヴェトナム」が不適切である理由については、小谷野大先生が読んでくださらなかった拙著の後ろの方その他で再三再四述べてきた(つもりである)。ところが大先生は、2013年2月発行のご著書で、私を「ヴェトナム史専攻」としておられる。名誉毀損で訴えようかと思ったぐらいだが、これが大先生のお目にとまらなかったのは、ひとえに、大先生のような「有名文化人」でない私の不徳の致すところである。

だれだ、小谷野みたいに他人の著作や議論を断片だけ取り上げてけなすのを業としているやつは知識人とはいえない、なんて怒ってるヤツは。そんなおそれ多いことを考えてはいけない。加地伸行先生は『論語』の訳(講談社学術文庫)で君子と小人を「教養人」と「知識人」と訳しているじゃないか。そう、小谷野大先生のようなお方こそ、孔子のいう知識人(知識はあっても本当にわかって身についてはいないので自在かつ適切な行動にはつながらず、特定の行動しかできない人間)にふさわしいじゃないか。

ひとつ間違えば自分もこうなるのではないかと反省させてくれる本。ああ、ありがたや、ありがたや。
怒りにまかせてこんなブログを書くのに時間を使う己の未熟をあとから反省させてくれる本。ああ、もったいなや、もったいなや。
いい加減に原稿を書き散らす術まで教えてくださる本。ああ素晴らしや、素晴らしや。









関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 「日本人のための世界史入門」の題名にだまされた者です・・・

> 苦笑いしながら
> そちらのブログの
> 「人のふり見てわがふり直せ」を
> 読まさせていただきました。
>
> 819円と時間を無駄にして
> 正直、怒り心頭気味だったのですが、、、
> (Amazonで星1つの評価をしても、なお怒りが、、、)
>
> ここを訪れた事で
> 結果、笑えたのでよかったです。
>
> ユーモアが大事ということを認識しました。
むきになって反論して、われながら恥ずかしかったのですが。
しかしああいう本を出す大手出版社というのは、何なのでしょうね。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR