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人は自ら望む事を信じる

毎日新聞朝刊のコラム「風知草」で山田孝男氏がカエサルの警句を引いている。人は自分の願望に合わせて事実を判断してしまうという意味だろう。コラムの本筋は、原発立地予定地に「活断層があってほしくない」という願望が活断層を見つからなくしているという、素朴な意味で非科学的な事態を批判するものだ。私自身の商売にかかわるところで言えば、ビルマ(ミャンマー)の民主化を無邪気にもてはやす人々なども――少し前にベトナムの開放政策をもてはやしていた人が混じっているだろう、あるいは大昔にポーランドの「連帯」やソ連の「ペレストロイカ」を讃えた人も――、青い鳥への願望に合わせて現実を裁断する人々である。もちろんミャンマーの民主化や経済建設は進んでほしいが、そう簡単にことが進むと思えるのは、先進国以外の歴史を馬鹿にして学んでこなかった人だけだろう。

エラリー・クイーンの推理小説にはたしか、「人は自分の見たものを見たと言うのでなく、自分が見たと思ったものを見たと言う」という言葉があった。こちらは願望というより先入観に合わせてしか事実が理解できないことを言うのだろう。とにかく放射能は危険だという思いこみがあって、フクシマに関連するすべての品物や人を避けようとするような態度をとる人々も、その例に当てはまるのかもしれない。私自身の商売から言えば、ベトナムや東南アジア(や南アジアやアフリカや...)に「かわいそうな貧しい民衆」しか見出そうとしない日本人も同類と批判せざるをえない。もちろん東南アジアに暮らしや人権をめぐる深刻な状況はいくらでも存在するのだが、その面しか見ないで平気でいられる人は、先進国の「右肩上がりの進歩の歴史」というスタンダードを刷り込まれてきた人だろう。

これらに対し「理性的・客観的・価値中立的にものを見ろ」とだけ言い続けても、問題はまったく解決しない。人間は主観から自由ではありえないというのが、現代科学の基礎だろう。しかし、だからどんな見方をしようが勝手だ、あとは力の強い(声の大きい)者が勝つだけだ、それで仕方がない、というのではあまりに幼稚だ。3・11の犠牲者に、それでは申し訳が立たない。ベトナム解放に命を捧げた「革命烈士」たちにも申し訳ない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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