世界史雑記帳(9)

この数日書いていたこととはほとんど関係ないが、歴史学入門で教えるべき概念(知っておくと便利な概念)にどんなものがあるかをしばしば考える。

たとえば「本質主義(essentialism)」
個人や集団などには、その個人や集団を成り立たせている特定かつ不変の「本質」がどこかに必ずある、という考え。
国家や民族について、それがしばしば主張される。そうすると、たとえば個人は「本当の自分」探しをしなければならない。また、外来文明に対しては「和魂洋才」を貫かない限りある国家や民族の精神は維持できないことになる。また、集団に「本質」があるとすると、それを体現している「正しい◯◯人」と、そうでない人の区別=差別が生じる。

これに対抗するのは、ある個人や集団の性格を創り出すのは状況や他者との関係だという考えである。時代や地域を無視した「これが日本人」「これが日本文化」などという定義は、おおざっぱなもの、都合のいい部分を組み合わせたものにすぎず、いくらでも例外が見つかる。時代や地域を越えて共通なのは、日本という「容れ物」ないしその「名前」であって、中身がもつ「本質」ではない。そういう人々に「同じ民族」「同じ国民」という信念を創り出すのは、強要されたグローバル化とか隣国との紛争など「時代の状況」ないし「他者との関係」である。

現在の学界や思想界では常識になっているこちらの考え方からすれば、「本質主義」は、歴史学(時間の流れによる変化を解明するのが基本)と両立しない。

「日本語についてはどうだ、みんな同じ日本語をしゃべっているじゃないか」?
問題がそんなに単純でないことがわかる日本語教育をしなければならない。
古文と漢文の教育は、奈良・平安時代の「日本語」と現在の「日本語」が単純に同じ言語と言えるかどうかについて、疑うことが出来る教育をしてほしい
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR