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中国化したベトナム

與那覇さんの「中国化する日本」に私が興味をいだいた理由の一つは、「中国化」という言葉にある。
私もかつて、岩波の「世界史への問い」(1990年)、山川の「代わる東南アジア史像」(1994年)、山川リブレット(初版1996年)、「日本・ベトナム関係を学ぶ人のために」(2000年)などの中で、「脱中国と中国化のベクトルの交錯」ないしは「脱中国のための中国化」というかたちで、ベトナムの「中国化」を論じたからだ。古代「東アジア世界論」の刷新をはかる研究者などが、いくらか注目してくれた。

周知のように、植民地時代に「自前の文明を持たない東南アジアに、隣接地域の文明が移植されたおかげで文明や国家が形成された」と論じたもともとのインド化・中国化の議論は、東南アジア諸民族の自立を認めた第二次大戦後には、きびしい非難の対象となった。

しかし「民族独立」はすべての問題を解決する万能薬ではなかった。日本史学界に対するショック療法として「冊封体制論」が必要だったように、一国史が過度に強調されるようになった東南アジア史に対しても、カッコつきの「インド化」「中国化」の視角が求められた。各国家や民族の「主体性」は真空の中に自己展開するわけではなく、ある大きな「場」のなかでその「力」を受けながら発現する。そういう意味での「場」はインドや中国を中心にできていた。

與那覇さんの場合の「中国化」は、経済活動への自由放任、普遍的理念にもとづく専制権力など抽象化されたものであるのに対し、私は素朴に「儒教」「中国型の法制・官僚制」などを考えていたのだが、国家・社会のシステム(個々の要素ではない)が中国的な原理で動くことという点では、そんなに大きな違いはないように思う。

ベトナムの「中国化」の場合でいえば、そこでは中国的原理のローカライズや、中国的原理の存在自体が対極に生み出す非中国的自己表現の形成などが折り重なって進行し、全体構造は「中国のようで中国でない」と「中国よりも中国らしく」の間を、人々の心性は中国コンプレックスと対抗的自尊意識の間を揺れ動く。中国歴代王朝の侵攻を撃退したことを正統性原理の根幹に据えながら、他方で自らを「漢民」」と称し「自己中国化」を推進した近世ベトナム人の言説にその揺れとジレンマがにじむ。
これを比較すると面白いのは、朝鮮や日本だけではない。限りなく「華人政権」に近い実態を別のイデオロギーで隠蔽することに成功した近世タイ王朝なども、比較の対象たりうる。

近世日本はこういう「中国化」の過程からかなりはっきり離脱したのだろうが、それでも基本の中国コンプレックスは抜けないまま近代を迎え、それは今日なお尾を引いている(だから與那覇さんの書いたことが常識にならない)。近世に自己中国化を強めたベトナムはもっとそうである。

それにしても與那覇本を読んでいて思うのは、引かれる中国史の研究が、昔の中国学(内藤湖南、宮崎市定)と1980年代以降の新しい研究(マルクス主義の側から専制国家論を唱えた足立啓二を含む)だけで、「戦後歴史学と毛沢東思想」は全くお呼びでないこと。
しかも宋代の理解は基本的に内藤・宮崎に尽きているとすれば、その間の中国史学(実に膨大な研究をした)はなにをやっていたのだろう。




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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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