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外国向けに作られた「日本」の国号

「東方学」125号の東野治之さんの原稿。
東野さんらしく明晰に書かれており勉強になる。

・「日本(にっぽん)」の国号は「日出づるところ」にちなんだ国号だが、「ひのもと」という呼称が先に国内にあってそれを音読みにしたものではない(本居宣長がすでに指摘しているそうだ)。おそらく701年の大宝令で制定され、702年の遣唐使--藤原京や大宝律令が成り、文明国となったことを示すため満を持して30年ぶりに送られた遣唐使--の際に唐に通知され、武則天がこれを承認したらしい(中国では建前上、外交相手を国号を含めて承認してはじめて朝貢・冊封その他の外交が成り立つ)。つまり日本というのは、中華世界の文明国として、唐を中心とする国際秩序に参入するための国号だった。

・その後の唐側では日本が倭の別称であるという記録と、それに関する色々な説明・解釈(日の出るところにあるから日本と称した、日本が倭を併合した、倭に併合されたetc.)が伝えられてゆく。

・日本国内ではその後も「倭」の国号使用がなかなかやまない。

・678年のすぐ後に作られた百済人彌軍の墓誌に「日本」が出てくるが、これは「日域」「日東」などと同じく「極東」を指す言葉で、元来は日本だけでなく朝鮮半島なども含んでいた。

こうしたことを説明し、最後に「日本の国号がまず外国向けに定められたものであることは勿論、それが世界に広まった経緯についても、一般にはほとんど知られていない」など、「日本人として知っておく必要がある」ことへの認識や理解があまりにも貧弱であることを問題にして、教育の場での知識普及を訴える。

まことにもっともであるが、これまた「日本は日本の内部の力だけで動いている」という今までの「日本史」教育の枠組みを変えないかぎり、感情的反発などがおこってうまく理解されないおそれがあるのではないか。

「東方学」の同じ号には、「先学を語る」で中国儒学史で知られた島田虔次先生が取り上げられている。
漢文の授業や儒学史・思想史の授業ではひたすら落ちこぼれだった私だが、いちおう島田先生が文学部での恩師だった。「訓読できない人はピンインで読んでから訳してもいい」という漢文の授業は、今考えると先進的だった。

「先学を語る」によると、人文研の桑原武夫氏のフランス革命の共同研究に島田先生も出ていて、フランス研究と日本研究は話が合うが、中国だけかみ合わないので苦労しておられたという。仏・日側は中国のことをちっとも知らないし、中国学者の方は専門用語を読み下しだけして平気な顔をしているので専門家以外にわかってもらえない、ということのようだ。しかし、現在われわれが世界史教育で問題にしているのも全く同じ問題である。人文研が出来て60数年、人文系の共同研究や分野間の相互理解というのは、本当に前進したのだろうか?





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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