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與那覇潤「中国化する日本」合評会第1回(その2)

與那覇さんがこの本を書かれたきっかけ、書き方の戦略などのお話も、とても面白かった。

愛知県立大の授業で宋代中国の話をしたら、「日本史なのに関係ないだろう」といって翌週から学生が来なくなったのだそうだ。「アジアの中の日本史」は単なる表面的流行であって、まだ、「フツーの学生(日本人)」に浸透していないということがわかる。違う次元での説明をすれば、「国際政治学の授業や地域研究の授業で、現代の説明をしうる前提として20世紀初頭から始めようとしたら学生が「なぜそんな話を聞かねばならないのだ」と反発した、という他大学で聞いた話と共通の、一元論的思考がしみついた学生(背景とか他者との関係を考えずに対象そのものだけが理解できると思っている)が多いということでもあるように思われる。

もう一点、中国の話をすると学生から「先生、中国好きなんだね」という反応が返ってきたという話。史学系の学生が大学入学時点で「なぜ歴史を選んだか」と問われて「好きだから」と答えるというのは、それでいいのだと思うが、「大人のすること」も「好きだから」やっているとしか考えないのは、あまりに幼稚である。18歳の日本人がそんなことでは困る。これはそこまでの教育が悪い。「敵(好きでない相手)のことは研究しない」という姿勢が70年前にどんな結果を招いたかは、暗記を強制してでも覚え込ませねばならないのではないか。
※ただこれは、日本の外国研究や国際交流の世界(特に外語大などで)に大きな問題があることも認めねばならない。「日本の常識」でしか相手を見ない初級者は論外として、日本では「上級者」イコール相手になりきることという間違った(そもそも不可能な)イメージがあるように思われる。フランス語の先生によく見られるフランス文化を愛し抜く姿勢、京大中国学にかつて見られた中国士大夫の精神への自己同化などはそのわかりやすい例である。たびたび話していることだが、それは「上級」に達する過程で必要な段階ではあるが、それ自体は「中級者」にすぎない。本当の「上級者」は相手へのレスペクトと深い理解を、批判的精神や自己主張を両立させられる人のことを言うのだ。

3つ目に、本書は単純化のためにいくつかのリスクには目をつぶったが、「擬人化」は避けようとしたと言われた点も大事だと思う。この場合に避けた「擬人化」というのは「坂本龍馬のおかげで明治維新ができた」といった人物本位のとらえ方である。しかし一般の歴史への関心というのはこうした「人」を基本にしがちで、流行の「モノの歴史」などはその意味で、上級のマニアを引きつけることはできても、それだけでより多数の歴史好きを引きつけることは難しいという與那覇さんの指摘は、よくよく考えねばならないだろう(続く)。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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