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與那覇潤「中国化する日本」合評会第1回

歴教研の通常の例会に負けない、40人ほどの人数が集まり、活発な議論がかわされた。
第1回は「中国史」の立場からの批評である。評者をつとめた伊藤・向・田口・杉山の4人の論客は、それぞれ工夫した報告をした。「中国史がわかっていない」という方向の議論はしないという事前の合意が効き過ぎたか、もう少し中国史の具体的な研究動向の議論があってもよかった気はするが(伊藤さんが宋代理解の変化について紹介し、田口さんが本書に影響している足立啓二氏の中国専制国家論における日中比較の論理次元での問題を指摘したが)、與那覇さんのリプライも含め、それを補って余りある興味深い論点がたくさん出された。

阪大東洋史では当然のことだが、(この本の目的は日本史のとらえ直し――それが中国との関係や対比抜きでは理解できないことを含めて――であることを承認したうえで、叙述の単純化・明確化の都合上かなり超歴史的な実体概念化して見える「中国」という対象設定の有効性に関して、議論が集中した。華北と江南の差などの地方の多様性、モンゴル時代と清代の中央ユーラシア的原理の影響、時代ごとの国家・社会の変化と大きい中国と小さい中国の時代ごとの振幅その他、おなじみの問題があらためて出されたわけである。

この問題は、「日本と中国を180度違うものとして対比する」という本書の戦略の奥行きにかかわるだろう。杉山さんが岡田英弘説を引いて現代中国が「日本化」しつつあることを指摘したように、やはり「中国」と「日本」は同じ世界内にあり相互浸透的であるとも言えるだろう。そうした両国の違いを「紙一重」と見る立場に立てば、両方に影響している中央ユーラシア的原理や海域アジア的原理、両国の各時代の変化に影響を及ぼしたグローバルな動きなどへの注目が、大きな意味を持ってくるはずだ。そうした「反対の視点」を用意しておくことが、議論の単純化により生じがちな一面的理解を、必要な場合に回避する保証になるように思われる(直接論じたら議論そのものがわかりにくくなる)。

もう一点、本書の「世界史的位置づけ」を考えたとき、モデルとしての「中国」の提示(日本を欧米だけと対比するという長年の「悪習」を是正するための)は21世紀の世界にとって普遍的意味をもつことが容易に理解できるが、「中国」(世界史の普遍を体現するもの)側から見ると「日本」を比較対象として設定する世界史的意味はあるのか、単なる特殊・個別例にすぎないのではないかという質問が出たが、はかばかしい答えは出なかったように思う。

これは私が海域アジア史などでよく言っているテーマであるので、2つの事柄を書いておこう。第一は、「普遍」だとはいっても「中国」が「ヨーロッパ」や「アメリカ」と違った固有性・地域性を帯びている(そこに固有の「語彙」や「文法」がある)とすれば、それが作り出す「世界」の中でどこまでどういう逸脱(divergence)が可能かという点で、日本はひとつの「極北」を示しているように思われる(ベトナムや朝鮮も違った独自性を示す面があるが)。それは「中国」と「中華世界」を中心の側からだけ理解しないため、それが含むベクトルの多様性を理解するために有用なはずである。
第二はそれより一般化された意味での「大文明の周辺で成立する中規模帝国/国民国家」である。国家という切り口からみたとき、世界史は大小様々な国家が織りなす歴史になる。それを「超大国」「大文明」だけで(一元論的に)理解していけないには当然だが、そうでない視点を導入しようとするとき、それを「小国」「周辺」に一般化してはいけない。ウオーラーステインの「半周辺」のマネかと言われそうだが、中規模国家というモデルを立てるのは、すぐ思いだされるヨーロッパ主要国はもちろん、世界のいろいろな場所で役立つものだと考えるのである。
(続く)
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『中国化する日本』合評会①速報を読んで

桃木先生
 早速に、一昨日の特別例会の内容に関する記事を拝読することが出来て、まことにありがとうございました。中国史研究者の末席を汚す者として、私も今回の特別例会には参加したい所でしたが、部活動との関係で、今回は出席出来ませんでした。次回3月2日の特別例会は、何とか都合がつきましたので、参加の準備を進めています。さて、『中国化する日本』合評会は、今回が中国史の側から、次回が日本史及び歴史教育の側からパネラーが出る形ですので、以下に私が述べることは、「場外乱闘」かもしれませんが、『中国化する日本』を最初に読んだ時から気になったのが、朝鮮王朝に関する記述です。『中国化する日本』の134頁に、「中国人や朝鮮人は早々と「中国化」を達成してしまっていた分…」とあります。しかし、朝鮮王朝時代は「極端な自由放任経済政策と専制支配」であったのでしょうか。管見ですが、朝鮮王朝は、建国時の明のように、可能な限り自給自足的農本経済を墨守したのでは?と、理解しています。そして、中国が明後期以降にそれからどんどん逸脱して「極端な自由放任経済」になっていたことに対して、己の正統性を内心誇っていたのではないか?朱子学の厳格遵守と共に、夷狄の支配下に落ちた中国ではなくわが朝こそが真の中華であるとの自尊心へと結実していったのではないか?と、考えています。こうした議論は、先生が指摘されている「大文明の周辺における中小国家・社会の反応例」の1つと言えばその通りです。朝鮮王朝だけでなく、阮朝などのヴェトナム王朝の場合なども議論する必要があります。そうした「大文明の周辺中小国家・社会」同士の比較によっても、日本及び中国の特色がよりよく理解されるのではないかと思います。今回の特別例会の記録が公式ブログに早くアップされることを願います。その記録を踏まえた上で、3月2日の第2回合評会に参加したいと思います。またしても大変長くなりまして、申し訳ございませんでした。3月2日の議論の一隅に加われることを楽しみにしております。
敬具
高橋 徹
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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