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40年前の世界

ベトナム和平協定のことを書いたついでに、40年前の世界のこともいくつか思い出した。私が高校3年生になる年だった。先日書いた50年前とは、いろいろなことが変わっていた。

1973年で世界史の教科書に定番として出てくるのは、第一次石油ショック(10月~)である。ほかに東西両ドイツの国連加盟承認、第4次中東戦争、アフガニスタンのクーデタで王政廃止、タイ学生革命なども年表に出ている。冷戦構造が大きく変わりつつあった。

日本円が変動相場制に移行したのはこの年2月だ。年配の人は、この年の「狂乱物価」とトイレットペーパー買い占めなどを思い出すだろう。
春闘で総評のゼネストとか、長沼ナイキ基地訴訟で自衛隊に違憲判決などのできごとは、今の若い人は信じないかもしれない。日本から金大中氏が朴正煕軍事政権下の韓国情報機関によって拉致された「金大中事件」は8月だった。

脱線だが、今朝のサンスポには野村克也の連載最終回が掲載され、そのなかで西鉄ライオンズのエース池永正明にふれていた。オールスター戦で王貞治にいとも簡単に併殺打を討たせたので野村が感心したという話である。ランナーを置いて併殺打を打たせたいとき、それまでは内角の速球で詰まらせるのが普通だったが、池永が初めて落ちる変化球を引っかけさせたのだそうだ。高卒1年目から20勝して稲尾にかわるエースになった池永は、黒い霧事件で(汚名を着せられて)追放されるまで5年間毎年オールスターに出て、たしか1点も取られていないはずだ。1970年に池永を含む主力選手が球界追放されて西鉄ライオンズがぼろぼろになり、3年連続ダントツ最下位ののちに太平洋クラブライオンズに変わったのが、40年前のシーズンだった。事件全体がフレームアップではなかったとしても、それを読売が大いに利用したことは事実である。日本シリーズではジャイアンツに負け続け、おまけに人気のあったライオンズと東映フライヤーズの主力選手が黒い霧で追放など、この時期のパリーグはとてもつらい時代だった。

もっともジャイアンツの連覇はこの年で終わり(その後現在まで、2年連続日本一はない)。大鵬は2年前に引退しており、「巨人大鵬卵焼き」の時代は終わろうとしていた。翌年はロッテオリオンズが日本一、それからブレーブス3連覇という、パリーグの夜明けはすぐそこまで来ていた。


なお日越友好協会のテトパーティの案内記事に不正確な点がありましたので、修正しました(インドネシアの踊りは間違い)。早とちりですみません。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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