「わかる」と「できる」の違い

毎日新聞夕刊の「新幸福論」という欄で、新井紀子さんという数学者が「なぜそうなるかはわからないが、とりあえずあることができる」状態の拡大、とくに教育において「どうしてそうなるのか」「それにどんな意味があるのか」などを理解しないまま、計算や暗記の技術だけを仕込む風潮に警鐘を鳴らしている。
この人はもともと歴史(覚える歴史でなく考える歴史)が好きで、職業は外交官を目ざしたが、大学で「なぜそうなるのか」を論理的に説明する数学の面白さに目ざめて、けっきょくは数学者になったとか。

昨年の「大学生数学基本調査」で「平均」の意味を理解していない学生が多かった問題について、平均を求めなさいと言われれば大半の学生ができるが、それによって何が解るのかを理解していない(説明できない)のだと、的確に解説している。
こういう「わかっていはいないけど、とりあえずできる」ような能力は、いずれコンピューターに取って代わられてしまう(そういう能力しかない労働者はいらなくなるということか)、それは感情にまかせるのでなく論理的に考えて議論できることを前提とするシステムである民主主義の危機でもある、という指摘にはナットク。





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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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