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儒教か儒学か

昨日の歴教研月例会のもうひとつの発表は、院生の東アジア近世の宗教についてのグループ報告だった。
儒教を中心に、仏教・道教や民間信仰との関わりも述べており、なかなかの力作だった。

発表を聞いて認識したのは、山川の詳説世界史+用語集は「儒学」としか書いていないが、帝国書院(新詳世界史B)は逆に「儒教」としか書いていない点。

面白かったのは、中国人の院生が中国では儒学としか呼ばない、儒教という言い方はおかしい、と違和感を示した点である。そこは、「学」(学問・思想)だけでない礼の実践、祖先崇拝その他の部分をきちんと説明できるようにしておく必要があるだろう。以前も書いたように、とくにインテリ・支配層でない大衆への浸透を理解するには、「学」だけではだめだろう。そこでいう「教」はもちろん、近代ヨーロッパで作られた宗教の定義には合わないが、それは定義の方がヨーロッパの特殊例だけにもとづいているからである。

なお「学問を修めた人間が偉い」「怪力乱神を語らず」という儒教は、たしかに神秘的な教義や教団をもつものだけを宗教と見なす定義にしたがえば、「学」だけでよいかどうかは別としても、宗教ではないと言える。が、注意しなければならないのは、「習俗であって宗教でない」という日本の神道の主張が主張することと共通の東アジア的な土台がそこにあることである。

もう一点、儒教で救われない人のために道教や仏教、カトリックその他が必要とされたり受け入れられた、という
あたりをもっとふくらませると、話はさらに面白くなっただろう。


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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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