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大阪万博と南ベトナム

大阪万博の話でもう1件、書いておこう。ベトナム関係のイベントなどでは再三紹介した話だが。

70年万博は、その後まもなく変化する東西冷戦構造をまだ引きずっていたため、中華人民共和国でなく中華民国(台湾)、ベトナムではベトナム民主共和国は無視してベトナム共和国(南ベトナム)を招待していた。
そのとき、南ベトナムからカイン・リーという女性歌手が来日し、ベトナムのラブソングを歌った。レコードもリリースしている。中でも人気のあった「美しい昔(ジエムスア)」という曲は、産経の近藤紘一記者の体験記「サイゴンから来た妻と娘」がTV化された際の主題曲としても流され、かなりの人が耳にしたはずである。

彼女が歌った曲の作者は、チン・コン・ソンという有名な男性シンガーソングライターだが、日本側がかれを招聘することはできなかった。南ベトナム政府の許可が出なかった。かれは多数の反戦歌を作ったていたからだ。中でも日本で有名になったのは、69年に毎日放送で紹介され、日本の複数の歌手が歌った「坊や大きくならないで」という反戦歌である。

ベトナム戦争終結後、カイン・リーは(本人に明確な政治意識があったわけではないそうだが)アメリカに逃れ、反共ベトナム人たちの象徴となった。
チン・コン・ソンの方は国に残ったが、社会主義に賛成したわけではないので、75年以前の南で作った曲が禁止されるなど、南北統一後には苦労をした。
ドイモイが始まってようやく禁止が解け、ある日本人もかかわってカイン・リーとチン・コン・ソンは1989年にパリで再会することができたそうだ。ドイモイ下のベトナムではチン・コン・ソンは国民的歌手となった。
1996年にとうとう、大阪府の文化イベントで来日が実現した(2001年没)。冨田健次先生や私もこれにかかわり、チン・コン・ソンに会うことができた。

たしか2003年だったと思うが、紅白歌合戦で紅組のトリの天童よしみが「美しい昔」を歌った。当時のベトナムブームのなかで見直されたものだろう。

私のハノイ留学中(1986~88年)はチン・コン・ソンの75年以前の歌はまだ禁止されていたのだが、ベトナム語がある程度しゃべれるようになって気がつくと、ベトナム人の大勢が、カイン・リーが歌った「ソンカーバイー」というレコードの「違法コピー」をもっていた。「美しい昔」「白い夏」など有名作品が網羅されている。
そのときL先生にコピーさせてもらった、ダビングの繰り返しで音質の悪いカセットテープは、今でも宝物として持っている。

留学から帰ったあとに日本のベトナム映画祭などを見て気づいたのだが、80~90年代のベトナム映画の有名作品に、チン・コン・ソンがたびたび曲をつけている。モスクワ映画祭で賞を取った「無人の野」(80年)、南部解放後の旧解放戦士の官僚化を痛烈に批判した「河の女」(87年)などである。

ところで、万博のとき中華民国館では人民共和国支持派とのトラブルがあったそうだが、ベトナム反戦運動が激しかった日本で、南ベトナム館への抗議行動などはなかったのだろうか。

いずれにしても、こういうことを後で知ると(というか、ベトナムを商売にしてみると)、万博に行けなかったことがちょっぴり悔やまれるのである。中3当時は「辛抱と長蛇」の万博など行っても仕方がないと、マセガキだった私も思っていたのだが(歴史オタクとしては飛鳥に行けたのはとてもうれしかったし)。





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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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