大阪万博で始まった時代、終わった時代

昨日の歴史教育研究会では、若松宏英先生の大阪万博についての報告がおこなわれた。
1時間の「投げ込み授業」(教科書に沿った本筋の授業から離れておこなうもの)の紹介と各種背景や資料の解説をまじえて報告だったが、いろいろ知らなかった情報を教わることができた。

まとめと討論で興味深かったのは、若松先生が大阪万博でひとつの時代(モダニズムや高度成長が無条件に礼賛される時代)が終わった、岡本太郎の太陽の塔はモダニズム礼賛に反旗を翻したものである、という解説をされたのに対し、大阪万博の時に敦賀原発からの送電が開始されたことなど、そこから2011年に完全破綻するまで続いたモダニズムの時代が始まったのではないかという意見が出されたことである(万博のころに出来た高速道路での崩落事故もその象徴)。

「終わる」方は、万博期間中に「いざなぎ景気」が終わり、同時期に公害問題が噴出する。71年のドルショック、73年の石油ショックなどが続き、高度成長は終わる。
しかし「始まる」方も、若松先生が話題にされた「万博に合わせて整備された交通網」などを含めたくさんあった。こうした大型公共事業による都市・国土建設は、「日本列島改造計画」で国家レベルのメカニズムとなり、国家財政を破綻させつつ最近まで驀進を続けた。今朝の毎日朝刊には72年の情報誌「ぴあ」創刊の話が特集されているが、「保革(左右)対立」でくくれない市民社会の動きも70年代に顕在化した。
※大阪市の「市営モンロー主義」により、ほとんど私鉄の都心乗り入れを防ぐだけの目的で四つ橋線(大国町以北)や千日前線が建設されたことなど、「無駄な公共事業の時代」が始まったことも大阪市民は認識すべきだろう。大阪人がなにかというと自慢する「東京より立派で路線網もわかりやすい大阪の地下鉄」というのは、戦前に出来た御堂筋線の遺産で言ってるだけで、戦後つくられた路線はいろいろお粗末な点、不自然な点を含む。

68年の学生運動も、「終わり」「始まり」の両方の意義をもった動きと考えられるだろう。

若松先生の話で、大阪と東京ではオリンピックと万博のどちらが強烈な思い出になっているかが違うらしいということもとよくわかったが、全国的に見ると新幹線のように「東京オリンピックで出来て万博でみんなが利用するようになった」ものがあるという指摘も面白かった。

若松先生が当初の「同時代史としての大阪万博」というタイトルを、若い聴衆に配慮して「歴史としての大阪万博」に変えられたように、若手の先生や院生には予想通り、「おじさんたちが何を盛り上がっているだろう」と聞こえた部分があったことや(「平凡パンチ」ってなんだ、と聞かれて若者向けの用意周到な解説をしていた若松先生が動揺していた)、質疑の際にみんな自分の生まれた年とか万博に行ったかどうかをしゃべってから質問・コメントをするというのも興味深い状況だった。

ちなみに1970年に、私は横浜の市立中学の3年生で、関西に修学旅行に行った。まわりの中学はみんな万博に行ったのに対し、私の中学は逆らって万博をパスし、代わりに当時はまだメジャーな観光地でなかった飛鳥に行った。
あとから考えると、私の中学はそれ以前かなり荒れていたためか、私の入学直前に若手の精鋭教員が集中投入されており、かれら(明らかに「左」の教師もいた)が、資本主義を賛美する万博など行くまい、とかなんとか主張したのではないかと思われる。

70年から「始まった」時代は、大阪が没落する時代でもあった。
71年、「万博を成功させた」知事が革新系候補に敗れて落選。
79年、「万博の活気をもう一度」をスローガンに保守・中道系知事が当選。大阪市と両方とも、「オール与党」「役所ぐるみ」の体制が強まる。
そのあとはタレント知事やらなんやらがつぎつぎ当選。
大型建設や大規模イベントを繰り返すが、動けば動くほど悪くなるという悪循環が続いた。

みんなの気持ちが一つになって盛り上がったのは、85年のタイガース日本一が最後じゃないだろうか。


関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR