日本語をとらえなおす方法

外国語として出会う日本語
日本語を母語としない日本語学習者の疑問や誤りを見ていると、日本語の特徴がわかるという本。
「私の国には、こめかみがたくさんあります」「大通公園でうおのめを食べました。とてもおいしかったです」「今日は本当にネコ暑いですね」「母が怒って、ドアを蹴りました」... なにがどう間違ったかわかりますか?

あとがきの「言語の違いを乗り越えるには、「日本人が外国語を勉強して、上手に話せるようになる」あるいは「外国人が日本語を勉強して、日本人のように話せるようになる」という二つの選択肢しかないのでしょうか。「日本人が日本語を勉強して、日本語を客観的にとらえられるようになる。それによって、外国人のたとえつたない日本語であってもそれを理解したり、自分の日本語をわかりやすく言い換えたりすることができるようになる」という三つめの選択肢も、あっていいのではないかと思います」には我が意を得たりと感じた。大学でも街でも、日本語の下手な外国人に対して、ゆっくりはっきりしゃべろうとする日本人は少なくないが、「外国人にわかる表現とわからない表現」を区別して日本語をしゃべれる人は少ない。外国でも同じで、私のベトナム留学中にも、外国人にわかるベトナム語でしゃべってくれる先生とそうでない先生がいた。前者がどんなにありがたかったことか。日本の役所の窓口なども、こうした技術をもつ日本人を配置するだけで、外国人にあたえる印象はまったくちがったものになるだろう。

もう1冊、工藤真由美・八亀裕美『複数の日本語 方言からはじめる言語学』も勉強になった。標準語だけを基準にすると「おかしい、説明しにくい」としかならない色々な方言が、世界の言語学のなかに置けば「普通の言語現象のパターンのひとつ」ととらえられ、中には「方言の方が世界標準に合っている」ということもあるのだそうだ。恥ずかしながら西日本方言の「~しよる」と「~しとる」の違いがきちんとわかっていなかったことを、この本で知った。

この2冊を読んでいるうちに、われわれが歴史の業界で「一国史」や「国民国家史観」、とりわけ「日本史学界」を批判するのと同じことが言われているのに気づいた。だからこの記事は、カテゴリーを「ベトナム」でなく「歴史」にしておこう。
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プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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