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鉄道とプロ野球

3月の「鉄カフェ+スポーツ・カフェ」でしゃべった中身のほとんどは、知っている人には常識なのだが、最近あらためて感心してくれた人もいるので、図に乗ってここでまとめておこう。

1.日本のプロ野球の球団には、かつては親会社が電鉄会社であるものが、新聞社系と並んで多かった。現在に連なるプロ野球(それ以前にあったものは消滅した)が1936年に8球団で発足した際、すでに阪神、阪急の2球団があり、「セネタース」も西武鉄道を建設した堤康次郎が背後にいた(新聞社系が4社)。南海、西鉄の2社も戦時中に、一時的だが球団を保有している(戦争末期にいったん消滅。戦後あらためて球団を保有)。
1950年に2リーグ制が開始されたとき、パは南海、阪急、東急、西鉄、近鉄と実に7球団中5球団が電鉄系であり、セ(8球団)も阪神、国鉄が鉄道系、つまり15球団の半数近くが鉄道会社系だった。他方、セの読売、中日、パの毎日と、新聞社がリーグで主導的役割を果たしていた。
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2.電鉄と新聞に共通するのは、前者が沿線の球場に観戦客を運ぶ、後者が野球報道で購読者を増やす、とどちらも本業の収入増加をねらったものだったこと。その際、毎日のように試合がおこなわれる野球は、年間の試合数が少ない他のスポーツより好都合だったと推測される。
 なお電鉄会社の場合、「沿線のベッドタウンを開発し、そこから都心への通勤客を運ぶだけでなく、沿線に娯楽施設、ターミナルにデパートなども作って、生活のすべてが沿線で営まれるようにする」という、阪急の小林一三や東急の五島慶太で有名な日本型経営モデルがバックにあった。というところまではどの本にも書いてあるが、もう一段掘り下げれば、一方に都心をオフィス街ばかりにして職住分離を強いる近代日本の都市政策、他方に20世紀前半までは鉄道業そのものが日本資本主義を代表する巨大資本であったことなども、浮かび上がってくるだろう。関西系電鉄会社が多くプロ野球を持ったのも、この2つの条件が東京よりはっきり揃っていたからだと思われる。
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3.同じくプロ野球経営に積極的だった映画産業(観客数のピークは1958年)は、1970年代まで球団経営を維持することができなかった。鉄道・電鉄会社も60年代に国鉄・西鉄(後者は当時は路面電車会社。日本の大都市の路面電車のピークは映画と同じく1960年前後にあった。西鉄の場合も輸送量のピークは1960~61年)がやっていけなくなり、80年代に南海・阪急が身売り、2000年代に近鉄も球団から手を引いて、現在残っているのは70年代末に新規参入した西武(ただし中心は不動産会社である国土計画だった)だけである。
 この背景には、高度経済成長があった。クルマ社会の到来で路面電車やローカル線がダメになったことだけでなく、産業構造が変化し、電鉄はもはや巨大資本などではなくなったのだ(現在の大手私鉄のほとんどは、鉄道旅客収入がトヨタや新日鐵の売り上げより2ケタ少なく、会社全体の収入は不動産など「兼業」が主力である)。しかも1980年代から選手の権利闘争が進展したこと、ドラフト制で失われた覇権の奪回を狙う読売が札束戦術をとったことなどにより、選手の年俸が高騰し、マスコミが味方についている人気球団の読売、阪神、中日や、「戦略としての集中投資」をした西武などを除けば、経営コストが耐えがたいものになってきた。

阪急ブレーブス最終試合の福本豊の打席
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4.もうひとつの問題は、「本業の売り上げを増やす培養源としてのプロ球団」という当初の路線も、その後に登場した「親会社の宣伝のためのプロ球団」という行き方(毎日マスコミでこれだけ会社名を呼んでもらおうと思ったら、莫大な広告料がかかる。それよりは球団経営の方が安上がりだ。ただしそのためには、親会社の名前を冠しない球団名はありえない)も、球団そのものを黒字の出るビジネスにしようとは考えていなかったことだった。
そうは言ってもONのおかげで1960年代にプロ野球は「学生野球より格下で、女性は近寄ってはいけないいかがわしいスポーツ(プロレスの同類?)」から脱皮して国民スポーツになり、70年代末以降には日ハム、西武などを先頭にそれなりの新しいファンサービスもして、球場に足を運ぶ観客を大幅に増やした。不勉強なマスコミによって「不人気」にされてしまったパリーグでも1980年代には、「西鉄ライオンズ3連覇」の時期の倍の観客動員が毎年あった(現在は3倍)。しかしそれでも追いつかなかったのだ。数字だけでなく、親会社から送られる球団職員に、野球の専門家もスポーツビジネスのプロもいなかった点で、そもそもプロ野球の球団は「お役所仕事でうまくいかない第3セクター」と同じ構造をもっていた。

ネッピーは人気があったのだが
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ただ現在は、中心にビジネスのプロが座り、地域密着型でサッカーなど他のスポーツとも提携するという新しい経営モデルが、九州、北海道、東北、千葉など各地で成果をあげつつある。不況のため、「親会社のための野球」のもうひとつの形態である社会人野球が、トヨタ自動車など一部を除き苦境に陥りつつある一方で、独立リーグは一定の成果をあげている。こうした路線の先には、日本の人口と経済力、高校野球・少年野球などのすそ野の広さをもってすれば、特定球団の人気にすがる1リーグ制のような情けない構想とは逆に、16球団制も不可能ではないと、私は考える(静岡、岡山・倉敷、新潟など新球団の候補地はいくつもある。関西にもう1球団、京都あたりで、というのも可能だろう)。2リーグ16球団をそれぞれ東西に分ければ、問題のあるクライマックス・シリーズも、よりすっきりしたものにできるはずだ。プロ野球の本当の発展の道はここにあると考えたい。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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