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東アジア世界論と上原専禄

「歴史評論」12月号の「特集/2012年 歴史学の焦点」に掲載されている広瀬憲雄さんの「東アジア世界論の現状と展望」は、いろいろなことを教えてくれる論考である。

日本史出身では広瀬さんや山内晋次さん、皆川雅樹さんほかが「東アジア世界」に代えて使っている「東部ユーラシア」という枠組みを使う意味、東洋史が提起した「澶淵体制」という概念についての2点が主な内容である。

「東部ユーラシア」については、
A.国際関係を、中国王朝と周辺諸勢力の君臣関係ではなく、中国王朝も含めた諸勢力相互間の非君臣関係を中心に考える(中国王朝の相対化)。
B.日本史の展開を、過大に評価された中国王朝との関係だけでなく、朝鮮諸国との関係や、国内の動きも十分に含めて考える(国際的契機の相対化)。
の2つが、「東アジア世界」と比べたメリットだとする(西嶋定生の東アジア世界論・冊封体制論の問題点そのものは、すでにたくさん論じられている)。

杉山正明、古松崇志、井黒忍らが論じた、11~13世紀のユーラシア東方における盟約に基づく国家間関係のシステム「澶淵体制」についての紹介も簡にして要を得ている。
「もしこの新たな枠組みが、東アジア世界論における周辺の非主体的な位置づけを維持・強化することになるならば、日本史を含めた周辺諸勢力の研究者から、新たな枠組みに対する批判が提出されることになるはずである」という広瀬氏の指摘は、「強い者が偉い」という見方を「中華史観」と共有しつつ後者と「どちらが強かったか」を争うきらいのある「中央ユーラシア史」への警告として正当なものであろう。

その他に、はっとさせられた指摘が2つあった。
第一に、地域枠組みの組み替えに関連して、有名な板垣雄三の「n地域論」は本来、対象空間を拡大・縮小しても、たとえば帝国主義という同一の主題が見いだせると議論だった、というもので、地域の拡大・縮小によりもとの主題設定の問題点や別の主題の重要性が見出されるといった、通常理解されている方向に行くとは限らないのだそうだ。地域の拡大・縮小それ自体は、思考の枠組みの変化がなくとも可能である、という批判は、「一国史を越えて地域世界(メガ・リージョン)を扱うが、それを閉じた自律的な世界として実体化/絶対化する点で国民国家史観と変わらない」地域研究にも当てはまりそうだ。

もう一点は、西嶋定生の東アジア論は、上原専禄の世界史構想を前提とした世界史像の体系化の一環として提唱されたものであるから、「東アジア世界論を見直すということは、その背景にある上原氏の世界史構想をも見直すことが不可欠となる」という指摘である。「歴評」の読者には、西嶋批判でもカリカリするベテランが少なくないので、上原批判ときては、たいへんな怒りを引き起こすのではないかと、ちょっと心配になった。

ただし、課題化認識など上原専禄は今でも生きるいいことをたくさん言っているとは思うが、しかしたとえば上原専禄の構想にしたがった世界史教科書では東南アジア史が教えられない点は、大塚史学にもとづく教科書がだめなのと同じことなのである。今、その「思考方法」でなく「上原専禄が描いた世界史像」を擁護することは、時代遅れの護教論と言わざるをえない。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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