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「愛国」の名の下の罵詈雑言

昨日の毎日新聞夕刊の「特集ワイド」が、ネット上での「愛国者」たちの罵詈雑言を取り上げていた。
新しい話題ではないが、大事な問題について、与那覇潤さんの意見を引きながら書いている。

「かつて、日本にも、ものが自由に言えない時代があった。それは強制でなく、こんな形で訪れるのだと実感してぞっとしたのです」という吉永みちこさんの発言に、心穏やかではいられない。

この記事の分析によれば、第二次大戦の贖罪意識や経済的優越の”心の余裕”が、日本の世論を強硬論のみに傾かせない緩衝となってきたが、戦争を知る世代の現象による加害者意識の衰弱と、中韓の経済的台頭などが、この状況の背景だとする。

これまでは「上から目線」で譲歩する、という特殊な関係にあった対アジア感情が、経済的余裕がなくなったために強硬論に傾いた、ということだ、という説明は、耳が痛い。
ご当人たちは認識していないだろうが、対アジア「謝罪派」(自虐史観?の陣営)がしばしば、日本の遅れた側面を「アジア的」後進性としていたのは、アジアを「上から目線」で見ていたなによりの証拠である。

記事にはほかにも、これまでの歴史教育が十分教えてこなかった大事なポイントが指摘されている。
明治以来ずっと、民意(自由民権運動なども含む)の方が対外政策について政府より強硬だったという点もそのひとつである。
プロの外交の現場では常に駆け引きや妥協と一体で、100%の「勝ち」はない。対して、自らの立場だけを主張すればよい国内世論では政府よりも強硬派が主流となるのは自然だというのが与那覇さんの意見だ。

別の新聞記事で見たが、穏便な解決をはかる政治家や言論人を売国奴呼ばわりする連中は、こういう「国内世論」の典型だろう。将棋で言えば、自分の手を考えるだけで「相手はなにを狙っているか」「自分がこうやったら相手はどう来るか」などの「読み」がまったく出来ていない。プロはこういう相手なら駒落ち将棋で「王様と歩3枚」で勝てる。

そんなに騒ぐならどうやって問題の島を確保し守るというのか、それが日本の利益を傷つけずに簡単にできると思うのか、そういう見通しも示さずに他人をけなすのは無責任な行動でないか、そういう「相手を見ながら自分を考える」ことを子どもの時から訓練する教育が、日本ではそんなに難しいのだろうか。




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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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