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シハヌーク死去

東南アジアの指導者は現代も依然として「マンダラの王者」だという考えを支持するのが、スカルノとシハヌークの2人だった。
*ここでいうマンダラとは、東南アジアの王権に関するウォルタースの理論。血統や身分、官僚制や法制などどれもあまり決定的な力をもたない社会で、王者が武勇や域外から導入した先進文明などにもとづく個人のカリスマを頼りに、自立的な地方支配者に支配を広げてゆくが、それのみで成り立つ支配関係は流動的で、王者のカリスマの強弱によって「王国」の勢力は伸縮をくりかえす、といった点を東南アジア王権の特徴とした。

憲法によって権能が制限されている国王を退位して首相になり、その後憲法を変えて全能の「元首」になったというあたりが面白い。ベトナム戦争中に中国寄りの中立路線で戦争に巻き込まれるのを防ごうとしたあたりも。
それにしても、中国が支援したポルポトのおかげでひどい目にあったが、しかし中国政府とは一貫して仲がよく亡くなったのも北京だというあたりが不思議だ。フン・センの現カンボジア政府の方も、南シナ海問題では中国寄りだし、中国への警戒心が強い東南アジアで、カンボジアはユニークな位置を占めている。近世以降の歴史ゆえにベトナムやタイへの憎しみの方が強い、というだけで説明できるだろうか?
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No title

カンボジアの話を授業でするときに、よく分からいことが多いです。親中国のシハヌークがポル・ポトとともにと反ベトナム三派連合をつくって、ベトナムの支援を受けたヘン・サムリンに対抗した....というところで、ポル・ポトと組んだのに、シハヌークはなぜ国民に絶大な人気があったのだろう...等々。陰性時代のカンボジア人の同級生は、ベトナムの悪口をいつも言ってましたが、シハヌークはとても敬愛してました。
プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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