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犬好きの歴史学と猫好きの歴史学

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今日の題はもちろん、中川敏さん(阪大人間科学研究科)の「犬好きのための人類学入門」「猫好きのための人類学入門」のパクリである。この2冊1セットのユニークな入門者(世界思想社刊)は、前者で事実の記述、後者で理論構築を重んじるタイプの人類学を解説している。私は金魚以外の動物を飼ったことがないが、現場と事実が好きなタイプを犬好き、理屈が好きなタイプを猫好きにたとえるというのは、言い得て妙だと思う。
犬や猫のたとえは他の学問にもいろいろな形で使われている(猫派から、「犬や猫でなく猫や犬と言え」と叱られるかな?)。
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 歴史学者にも明らかに、理屈をこねるのが好きな猫派と、史料に沈潜するのを好む犬派が存在する。私は自他共に認める「わがままで理屈っぽい猫学者」であり、社会科学や人類学の専門家に、歴史学者というのは「物知りだが理屈に弱い人種」だとレッテルを貼られるのが、なにより悲しい(私だってベトナムの碑文の前で座りこんで1時間動かなくなったことがある「変態ひすとりあん」の一人であり、史料が嫌いなわけではないのだが)。
 ちなみに私は、動物でも犬よりは猫が好きである。大学で動物の話をしないので今まで気付かなかったが、完全な「キャットウーマン(?)」であるUさん(理屈は特に好きそうではないが)が同僚になりベトナム調査にも参加したおかげで、古参のH田氏をはじめ、私のゼミにも猫好きが少なくないことが判明した。

 ただし猫にふさわしいひねくれ者の私は、「歴史学に大事なのは理論そのものより論理だ」と院生時代から言い続けている。私見では、歴史学は理論やモデルの構築を目的とする社会科学の範疇にはうまく収まりきらない。それを強行しようとしたマルクス主義(少なくとも「かつてみんながマルクス主義だと思ったもの」)は失敗した。「理論」はあくまで、複雑な現実を整理し言語化するためのツールにすぎない。だから私は、「世界システム論」「オリエンタリズム」「言語論的転回」などなどの理論そのものをあまりまじめに勉強する気がない。
 そのことはしかし、東洋史学という業界の大半がナイーブに考えているように、そんな理論を無視してよいということではない。それでは現在は、他分野の人びとと世界を語り合うための「共通言語」がもてない(昔の東洋史学者が恵まれていたのは、漢文そのものが知識人の共通言語だったことだ)。「教養として」こうした言葉や概念の最低限の知識とそれを使用するスキルをもつことなしに「歴史学者」をするのは、孔子やキリストやカントのことをいっさい知らずに旧制高校の学生をするようなものだろう。
 そういう理論の勉強を無視する東洋史業界(および歴史学一般)で、結果としてなにがおこるかというと、たとえば「国家」「民族」「戦争」「文化」などの基本概念について高校レベルの素朴な認識のままで専門研究をするとか、「作用があればかならず反作用がある」「逆は必ずしも真ならず」といった初歩の論理を無視して論文を書くといった、論理に対するナイーブさがあらわになる。先行研究を整理する際に、時期や作者ごとのパラダイムや文脈を抜きにして同一平面上で優劣を論じる傾向が強いのも、論理的思考に慣れていないことが大きいだろう。
 「論理学」という授業がないせいもあって、歴史学だろうがなんだろうが学術研究は論理性抜きでは成り立たない、という命題が言語化されて認識されることは少ない(無意識に実践している専門家はたくさんいても「背中で示す」だけで言語化しないから、今の学生には伝わらない場合が多い)。このことはやはり、学問の継承も他分野との対話も阻害すると言わざるをえない。「絶対にこれではいけニャイ」というのが、私が「猫派の一方の雄」たらんとするゆえんである。
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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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