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La Citadel とはどの城壁か?

タンロン(ハノイ)研究のために、応地利明先生の「都城の系譜」をようやく読み始める。
「はじめに」で日本の都城研究者が「国際比較研究」を標榜する場合でも、その対象範域はせいぜい中国・日本・朝鮮半島とそれらの周辺にしか広がらないという「都城研究における東アジア的バイアス」を指摘しているのを見てニヤリとしてしまった。

しかし先生のタンロンに関して論じた章(VIII-1)は残念ながら--複数の「さすが」という指摘にもかかわらず--「ベトナムがわかっていない」という毎度のパターンを繰り返している。

「大越史記全書」の都城建設記事(1010年)の読み方や関連する他の記事を無視した点にも疑問があるが、地域研究として見過ごせないのは、ベトナムの研究者とのディスコミュニケーションである。象徴的なのは、タンロン皇城遺跡の調査研究の考古学側のリーダーであるトン・チュン・ティンさんの英語での発表を引用しているのだが、その図面にある「La Citadel」という表示の意味がわからなかったことである。たぶん応地先生はこの「La」をフランス語の定冠詞と思われたのだが、これは「羅城」なのである。
*「黎(Le)朝刑律」という近世法典の英訳「The Le codeが20数年前に出たとき、洋書屋の目録が「Le」をフランス語の定冠詞だと思って(その前にTheがつくというのは??)ただの「法典」と訳していたのを思い出す。

この「羅城」がわからなかったのと、ファン・フイ・レー先生など文献学者の最近の議論を参照できなかったため、応地先生のタンロン復元案は、現在のタンロン研究からずれたものになってしまっているのだ。

羅城を「La Citadel」を訳すベトナム人と、日本人には限らないがベトナムでの資料と研究の状況を断片的にしか知らないままで議論をしがちな外国の研究者との距離は、まだまだ大きい。

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ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

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