30分でわかる社会主義・共産主義(補遺)

プリントの中身は先日ご紹介した通りなのだが、「その筋の」ベテランの先生には「これを抜かすとはけしからん」と怒られそうなトピックが、まだたくさん残っている。院生向けにいくらか補足しておこう。

・「空想から科学へ」などの著作でマルクス・エンゲルスらは自分たちの理論が「科学的」であると主張した。レーニン、スターリンらによる定式化(歪曲?)に従えば、その基本的な柱は(哲学としての)「弁証法的唯物論」と、(歴史観としての)「史的唯物論(唯物史観)」である。それらを通じて、物質世界が人間の意識を離れて実在すること、その法則的運動が人類社会を動かしてきた(将来も動かす)ことが主張されたのである。

・こうした理論の主眼は資本主義を批判し乗り越える展望を示すことであった。その意味で、資本主義以前の歴史は、「それ自体の解明」を目的として論じたものではない(資本主義が発達していない国・地域で革命をおこそうとする共産主義者にとっては、「封建社会」などの解明が大きな課題になるのだが)。

・ではその資本主義とはなにか? これを解明するのは経済学である(いわゆる「マル経」)。
その中心問題は、領主や国王の「経済外的強制による収奪」が排除され、「商品は価値通りに売買されねばならない(不等価交換は許されない)」はずの資本主義社会、そして商品の「価値」は根本的には材料原価と生産コストで決まるはずの資本主義社会(価格が需要と供給で決まるというのは、その次の段階の話である)で、資本家はいったいどうやって「商品としての価値より高く自分の製品を売り」「利潤」をあげられるのか、という問いにある。
 言われないとこういう問いが成り立つこと自体に気づかない人が多いだろうが、資本家が利潤を上げる(配当を得たり拡大再生産をできる)ということは、原価・コスト通りに製品を売っていないということである。「適正利潤を見込んで製品価格を決める」という表現は、この立場から見れば「自分は製品をわざと実際の価値より高く売っています」と告白しているに等しい。
 そういうことができるからくりは、マルクスによれば、製品の生産に不可欠な「労働力」(これも賃金労働者の労働力だから一種の商品である)がもつ、「原料」や「機械」とちがった性質にある。
 たとえば「原料」にはその価値通りの仕入れ値が払われねばならないのだが、労働者の賃金は、実際の労働そのものの対価でなく、「その労働力の維持・再生産のコスト」に対して支払われている。結果として、ある労働者の1日なら1日の労働によって生み出された価値のうち、一定部分にしか賃金は支払われないことになる。その不払いの部分(剰余価値)こそが資本家の利潤の源泉である。
 
 この理屈の応用で、「封建社会」なら領主や地主は、農民の生存と農業の再生産に必要な生産物(生産活動)以外の「剰余生産物」ないし「剰余労働」を年貢や賦役のかたちで搾取しようとする、ということになる。
 
・ただこれらは基本的な法則であって、資本家対労働者にせよ領主対農奴にせよ、価値や生産物の取り分が実際にどうなるかは、「階級闘争」で決まるとする。「法則で全部決まっているなら(農民や労働者にとっては「やがて自分たちの階級が勝つなら」)個々人が努力する必要はない」という論法にならないしかけが、ここにある。一般にマルクス主義とか唯物史観とかいうと発展段階の議論ばかりしているという誤解も(反対者、信奉者の双方に)見られるが、「人民闘争史」もそれとならぶ基本研究課題だったのだ(たぶん、まだ続く)。

今日は広島原爆の日。神奈川の高大連携研究会が開幕。
初日は18世紀の東アジア史で、「日本史を組み込んだ理解」「清朝の多くの顔」「眠り込んでも閉じてもいない東アジア諸国」などの話題が、生徒にも先生にも好評だった。
関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

ダオ・チーラン

Author:ダオ・チーラン
ヒツジ年生まれで写真のニワトリに深い意味はない。横浜で生まれ育った関東人だが、大学入学後現在まで関西で暮らしている。
本業は歴史学者で、専門は中・近世のベトナム史、海域アジア史、歴史学の評論・解説など。
趣味はパ・リーグを中心としたスポーツ、鉄道ほか。
このブログの意見はすべて筆者個人のものであり、いかなる組織にも関係ありません。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセス・カウンター
あなたは
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR